My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2017/02/27

日曜日のピクニック



割りかし暖かく行楽日和だった日曜日

せっかくのお天気だし、お弁当を買って、どこか公園で日向ぼっこしながら食べようよ、ということになりました。さっそく二人お気に入りお弁当屋さんである「한솥 도시락」がどこにあるか調べたところ、ヨスに唯一ある大学の近くにあったので、少し遠かったけど、二人でバスに乗り目的地の大学へ。

日本のお弁当も好きだけど、韓国のお弁当も好き。特に「한솥 도시락」のお弁当は価格も良心的だし、いつくかあるお弁当チェーンの中でも美味しい方だと勝手に格付けしています


(画像はホームページから→

メニューはこんな感じで、日本のと一見似ているんだけど、でも少しづつ違うんです。私はお弁当の定番である、キムチをくたっと煮たのが好です





今回私たちがテイクアウトしたお弁当は、ドンちゃん思い出「チキンマヨ」弁当。サクサクのチキンに甘辛いタレとマヨネーズかけて食べる丼型のお弁当ですいかにも日本の大学の学食にありそうなメニューだけど(汗))彼は大学生の時、試験がある日の朝はよくこれを食べていたそうです

ヨスの大学には私もドンちゃんも初めて来ました。元々は国立ヨス大学だったのですが、吸収合併され、今は光州にある国立大学のヨスキャンパスに。




よく言えばこじんまりとしていて、悪く言えば人が少なく活気のないキャンパス。しかし、山の上にあるので、眺めは良い。周辺も大学街にありがちな飲み屋やクラブがある種々雑多な感じではなく、アパートや公園に囲まれて、ほのぼのとしています。





ポカポカ日和の中、ドンちゃんと買ってきたお弁当を広げます。付き合っている頃は、お互い違う大学の学生だったけど、もし同じ大学にいたら、こんな時間も持てたのかもねって話で二人盛り上がりました。

同じキャンパスの学生だったら、私たちは恋に落ちていたのだろうか。





食べたあとは、キャンパスをお散歩。図書館の前には、休憩中なのかコーヒー片手に雑談している学生たちもチラホラ。でもそれ以外は閑散としていた構内。大学本部の建物の前には梅が咲いていました。写真を撮って、二人でしばらく眺めました。

キャンパスを後にして向かった先は八百屋さん。野菜を色々買って、家の前のカフェで苺ラテを飲み、家路につきました。


春の兆しを二人で感じた日曜日。また、春がやってくるんだなって思うと、安心する気持ちと、焦る気持ちでいっぱいに。


今度は手作りのお弁当、温かいお茶持参でピクニックかな。




にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ




2017/02/25

おやつの時間



木蓮の花の蕾が少しづつ膨らみ始めているヨスです。先白くて大きな蕾。

蕾が綻び始める姿は来月までのお楽しみ。咲き始めたら、きっと、私は今年も、カメラを木蓮の花に向けて、木蓮の涙を歌いながら、その白い花を写真を撮るのだろう。横にはドンちゃんがいて。


論文執筆に狂いそうになるときは、そんな小さな自然をみて気分を変えるのですが、同じぐらい気分転換になるのが、陶芸に没頭する時間。光州の先生の工房で過ごす時間です。


去年はずっと壺ばかり挽いていたのですが、今年は大きな鉢を挽いています。7キロぐらい。壺よりは簡単だけど、それでも直線に広げていくのが至難の技。一時間かけて、少しづつ少しづつ、指先にだけ意識を集中させてて、外と内の境界線を消し、自我を忘れ、轆轤を回します。いわば精神的なセラピーです。この時間だけ、先生は絶対に私に話しかけずにいてくれます


陶芸の工房で過ごす時間の中で一番の楽しみは、先生が準備してくれるコーヒーとおやつ。それを皆で食べる時間。


おやつは、その時によって様々。近所のお店の揚げ物だったり、屋台のたい焼きだったり。蒸したジャガイモやとうもろこし、旬の果物なども並びます。時には辛いカップラーメンにキムチ。でもこれが美味しかったりします。この前は、とうもろこしのパンに苺ジャムを塗ったものを出してくれました。素朴で、美味しかった。「shiinaは遠くから来るんだから、たくさん食べないと!」といつも私に多めに分けてくれる先生たち。


もちろん私も、月に何回かはおやつを持参。パン屋さんで買ったチーズケーキとか、ドーナツとか。日本帰りのときは日本の美味しいものを。でも、何となく、自分が心を込めて作った手作りのものを持っていけたら、もっといいかもって思ってました。ステラ事件もあったし。(ステラ事件についてはこのポストの最後を参照にしてください


Sちゃんからお菓子の本をオススメしてもらったのを機会に、工房に持っていくためのおやつを少しづつ練習をすることに。お菓子作りも論文の気分転換になります




ちなみに本は「ホーローバットで作るうちのお菓子」です。野田琺瑯のタッパーやバットは日本に帰るたびに買っているので、同サイズのが既にありました。野田琺瑯大好き。




パイナップルのケーキ





バナナのケーキ(私がバナナを並べると妖怪みたいになる


他には卵カステラなんかも作りました。どれも簡単で美味しい。練習で作るたびに、夜にドンちゃんとコーヒータイムになってしまうのがちょっと心配ですが。。。太るしね。来週はパイナップルのケーキを作って持って行こうと計画中。先生たち喜んでくれたらいいな。。。


ちなみに、この本の中に登場するクリームブリュレが美味しそうで、ガスバーナーも購入してしまいました(爆)さすがにクリームブリュレはもっていけないので、我が家用に作るつもりです刺身も炙りたい。



参照
ステラ事件とは。。。ドンちゃんの大学時代の友達でもある新婚夫婦の引っ越しパーティーにお呼ばれした時、その嫁ステラ(仮名)が冷凍食品ばっかり並べ、それを自分が作ったと言い張り、挙句デザートに出てきたチーズケーキも冷凍食品で、それに私があたり、次の日腹痛と高熱が出た事件のこと。





にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

2017/02/22

やかんを火にかける





ヨスは雪が降らない土地として有名。なぜ雪が降らないかについて、地学的な立場からの見解は知らない。けれど、ヨスの人の「スンチョンまでは降るんだよ、でもなぜかヨスは降らない」という言葉から、おそらくスンチョンとヨスの間にある山が一役かっているのでは、と睨んでいます。


今年は雪が降らずに春が来るのだろうか。

さて、もう少しだけ続くであろう冬の日課。それはお茶を淹れること。韓国では、韓方の影響か、やかんに炒った実を入れて、それを沸かして飲む家が多い気がします。お店で売られているやかんはほとんどが茶漉し付きです





ドンママも炒った麦をやかんで沸かして、麦茶を作ります。それをそのまま食卓に起き、冷蔵庫で冷やさずに飲む。気持ちが悪くて食欲がない日は麦茶を飲んでしのぐのがドンママ流。

我が家もそれに習い、冬は必ず、毎日お茶を沸かします

常備しているのは、炒って乾燥させたとうもろこしの実、そして麦。以前は市場の精米屋さんで買っていたのですが、ある時から中国産のものしかなくなったので、そこで買うのを止めました。最近は、生協で買っています。会員じゃないから安くはないのだけれど、それでも国産のを安心して300円以下で買えるからいいかなって。





今回はとうもろこしの実の他、玄米も買ってみました。日本の玄米茶は番茶も入っているけれど、こっち炒った玄米のみ。なので、味も日本のとはちょっと違います。より香ばしい。香りはあまりないけれど。

もちろん、玄米だけでも良いけれど、とうもろこしの実や麦と混ぜて沸かしても美味しい。毎回、ブレンド具合を変えながら沸かしています。お気に入りはとうもろこし3に対し、玄米1。





沸かしたらドンちゃん一緒にお茶タイム。熱々の美味しいねって啜ったら、あとはやかんを食卓に乗せて、我が家の水分補給に。お風呂から上がったら、ドンちゃんが注いでくれるのが恒例です。熱々が飲みたかったら、また火にかけて少し温めます。


コーヒーも白湯も好きだけど、お茶も好き。火にかけたやかんから熱々の蒸気が出ている、そんな冬の台所が好き。

もう少しだけ冬を楽しもう。もしかしたら、雪が降るかもしれない。






にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ





2017/02/21

永く住む





先週末は三連休だった我が家です。

土日は午前中にNBAオールスター前夜祭を観戦し、お昼に美味しいものを食べに行き、海沿いを散歩をして、夜はお家で一緒にご飯を作って、お酒を飲みながら映画を観るという、いたって普通な週末を過ごしました。

ドンちゃんが有給を使った三連休の最終日は、二人で朝からヨスの入国管理局へ。私の永住権を申請しに行ってきました。


韓国では、普通ならば在韓5年で永住権申請が許可されるところ、韓国人を配偶者に持つ者は(こちらでは結婚移民者という)在韓2年で申請できます。私はこの4月でヨスに来て丸4年になるのだけど、書類を揃えるのが面倒だったし、ビザの期限が長かったので申請せずでした。


が、なんとなくだけど、ふと申請してみようかな、と思い立った訳です。書類を揃えるのも実際やってみると、そんなに面倒でもなく(私よりもドンちゃんの方が大変だったと思う)当日も、書類の不備がありつつ、午後には再提出をして、簡単な韓国語の試験を受け、無事に申請終了。あとは結果を待つのみ。


しかしながら、「永住権」ってとっても優しい言葉だなって思う。そこには救われない何か、欠けている何かを補ってくれる甘美さがある気がします。

という気をおこさせるのは、「永住」という響き、特に「永」という字があるから。

永く住む権利と書いて、永住権。長くではなく、永く。

永くって何だろう。調べてみると、永くとは永続的なこと、永遠的なこと、と書いてある。


そこからイメージを描く。「長く」とは時もしくは空間の長さであることは間違いない。一方で「永く」とは、と考えたとき、そこには「繰り返し」なイメージがまず浮かびます。私にとって、まっすぐに伸びる線が「長く」ならば、「永く」とは螺旋なようなもの。

もしくは、慣性の法則の「運動している物体はいつまでも等速直線運動を続ける」ようなもの。止まることのない、どこまでも果てしなく続いていく、イメージです。螺旋もその点では一緒。"同じ"が果てしなく繰り返す。

そう考えると、永く住む権利に甘さが潜むのにも納得。永住という言葉の裏には、人生を丸ごと保障してくれるような、「ここで今ある暮らしをずっとできますよ」って言う、ニュアンスが隠れているのです

実際そんなことは不可能なのにね。日々の繰り返しはいつかどこかで途切れるのに。


どこに永住するかも決めかねているのに、仮の棲家である韓国に甘い永住権を求めざるおえない私は、やはり弱い

私はどこに住むのだろうとと考えてる、いわば宙ぶらりんな状態が辛いから、永く住む権利が欲しかったのかも。だから、申請したのかも。

永住権の申請から、そんなことを思った日でもありました。

写真は永住権に関係なく、土曜日に食べた、海鮮チャンポンです。海の側にあるこのお店のチャンポンは、ムール貝がたっぷりで旨いのです。



にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ


2017/02/17

愛される人




写真はバレンタインデイにドンちゃんからもらったお花。小さなオレンジ色のお花が可愛い。君子蘭の仲間かな?って思ったけれど、よく分からない。葉は肉厚でふっくらしている。今朝、日光浴をさせて、お水をあげた。

「花と蕾のバランスが美しいと思って、マイベイビーにこれを贈りたかった」とドンちゃん。自分が感じた美しさを私と一緒に共有したいと思うところに、私への愛情を感じずにはいられない。

もちろん普段の、例えば、最近論文のために家にいる私を気遣って、部屋は寒くないかと心配のメールをくれる姿にも、公開発表が迫り焦る私の手を握り、僕がいるから大丈夫だよ、と励ましてくれる言葉の端々にも、全てに彼の愛情を感じる。






ドンちゃんからの愛情といえば、

あなた、旦那さんから愛をたくさん受け取っているでしょう。あなたの表情を見ていればわかるのよ。

と、最近、知り合いの韓国の方と話しているときに、ふと言われた。「でも、結婚4年目の新婚ですし」と謙遜(?)したところ、「いやいや降り注がれるように愛されている」とにっこり。少しだけ嬉しかった。

なぜ嬉しかったといえば、やはりパートナーから大事に愛されてきた人は、歳を重ねたときにそれが表情に表れると、私自身思っていたから。大学院で出会った60代の女性は、チャーミングで可愛らしく、立ち振る舞いや表情にも優しい余裕がある。聞けば、ご主人とたいそう仲が良いらしい。やっぱりな、と思った。年輪に刻まれた愛のオーラが彼女を包んでいる。

年を重ねていなくても、誰かから大切にされている人はすぐに分かる。日本で帰国するたびに会う友達もそう。皆、パートナーから深く愛されているのが表情や纏う空気から伝わってくる。忙しくても、優しい余裕や安心感に包まれている人たち。もちろん男女限らず。もちろんパートナー同士だけではなく、親から愛されている子供も家族から大切にされている人もその表情を見れば分かる。


つまり、人間とは自分の基礎となる人間関係(家族、親子、夫婦とか)が満ち足りたものであれば、大体のことは大丈夫だということなのかもしれない。あ、ちょっと論理が飛躍したかも。けれど、特にそう思う、最近。


ちなみに妻からの愛を一身に受けているドンちゃんは、会社のお偉い方々から


君からは人生楽しい!」というオーラを感じる


と言われたらしい(爆






人気ブログランキングへ




2017/02/14

飽きるまで食べたいもの


寒い寒い3日間が終わり、昨日と今日は少しだけ暖かくなったヨス。

週末ドンちゃんと見つけたものは、まだ芽吹く前の桜の木の、枝と枝の間にあった小さな鳥の巣。小さな鳥がこれをこしらえたんだと思うと、とても愛らしく感じる。二人で、なんかかわいいねって、しばらくその巣を見上げていました。

今朝、歳時記で「鳥の巣」を調べてみたら、「春」の文字が。どうやら春の季語らしい。ということは、ドンちゃんと私は小さな春を見つけたということになる。期せずして宝物を見つけたみたいで、少しだけ愉しげな気持ちになった朝でした






写真は季節限らず食べることができる長芋。3キロをお取り寄せしたのです

韓国のスーパーでも、もちろん長芋は手に入り、一本は800円ぐらいで売られています。高くもなく安くもないので、時々食べるならばそれを買えばいいんだけど。。。日本でとろろご飯の美味しさを知ってしまったドンちゃんが、毎日食べたいと言うので、取り寄せることにしたのです。ちなみに3キロで1500円ぐらい。スーパーで売られているのより新鮮だし、お買い得。安東の農家から、たっぷりの籾殻と一緒に届きました。

長芋の存在を知っていても、とろろご飯をこの歳になって初めて食べたドンちゃん。どうやら、韓国では長芋ってあまり身近な存在ではないらしい。レシピを調べてみても、多いのはミキサーで撹拌して蜂蜜を加えてジュースにする方法。身体にいい食材ということは知られているみたいです。







我が家では、とろろご飯、もしくは仙台のSちゃんに教えてもらった、薄めた麺つゆに漬け込んで食べるのが定番になりつつあります。どちらもドンちゃんの大好物。毎日どちらか、もしくはどちらもが食卓に並びます。日本のよりは少し細めなんだけど、シャキシャキして粘り気もあって美味しい。

一箱が尽きる頃にはドンちゃんの長芋熱も冷めているのかしら?とりあえず飽きるまでは食べさせてあげたいな。


おまけのクイズ




↑ドンちゃんが良い朝だという理由である「ヴぁーぇんたいぬでい」とは何でしょう?


答えはバレンタインデー。「ヴぁーぇ」とか普通に打つよりも難しいのに、どうやって打ったんだろう。。。なぞ。






にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ






2017/02/11

苺の買い方


寒い日が続くよ、と言われた三日間の最終日。朝一番で開けた窓から、流れてくる風は厳しい冷たさがあります。

今日が終われば、暖かくなる兆しを感じることができるのかしら。社宅にある桜の木の枝の先には、小さな蕾が現れ始めています





写真は今が旬の苺。韓国のカフェチェーンではどこでも苺を使ったドリンクフェアが開催中だけど、その甘くて酸っぱい幸せなみずみずしさを味わい尽くすならば、そのまま丸ごと食べるのが一番だと思う。

苺を買うときはいつも、市場か八百屋さんで。ここでは日本のようにパックではなく、プラスチックの桶(?)に入れられ、キロ単位で売られています。

買うときのポイントは、お店の人に値段の差の訳をまず聞くこと。1000円のものと1800円のものとの差は何か。だいたい見れば、粒の大きさだということは分かるけれど。それと、いつ入荷したものなのか、と聞くのも大事。それを聞いた上で、「今日の朝に入荷した、一番高いもの」を買います。


迷わず1000円ぐらいの安いものを買っていた時期もあるけれど、高いものを買ってみたとき、苺の値段の差って味に現れることを知りました(苺に限らず特に果物ってそうだよね安いのはミキサーにかけてジュースにしたり、ジャムにするのにはいいかもしれないけれど、一粒一粒味わいたいときは少し高いものがいい。(高いといっても、量を考えれば安いけれど





昨日の夜に二人で食べたけれど、まだ一番大きなボールにたっぷりあります。週末が終わる頃には全部食べきってしまうんだろうけど。






ちなみに、韓国の苺は「プラスチックの桶」に売られていると前述したのが写真のこれ↑です。風呂桶みたいだから桶と形容したけれど、これは何?植木の受け皿?

これ、いつもお店の人に入らないっていうんだけど、苺が崩れるから持ってけ!と言われるので断れず。そして家に溜まっていく。活用したいけれど、まだ良いアイデアが浮かばず。。。でも捨てるのは勿体無い気もするし。

アイデアを考えつつ、苺の季節をもう少しだけ楽しもうと思います。






人気ブログランキングへ






2017/02/10

挽歌



挽歌とは死者を悼む詩や歌のことをいう。

挽歌の「挽く」とは棺の車をひくという意味を持つようで、なるほど、野辺送りの時に歌う歌であることがよくわかる。棺をひきながら、亡き人を偲んで歌う歌。

挽歌の「挽く」には、一方で、遠くに行ってしまう死者を「引っ張りたい」気持ちも表しているのではないかと思ってしまう。まだこっちにいて下さいと思う、残された人の胸の内を。



日本の大学院で私を指導してくれた恩師が亡くなった。


先生には、とてもとてもお世話になった。大好きで、特別な先生だった


今は、先生との思い出と、大きく激しい後悔だけが残る。


ノートに先生の命日と先生の名前を書いて、その下に挽歌(と言えるかわからないけれどを書いた。結局、先生を失った自分の悲しみしか歌にできなかった。私の涙は、先生を失った自分に対する涙なんだ。私はなんてエゴイストなんだろう。




清流に抗う一つの岩のように
貴方の存在は流れて行かず
私の心に置かれたまま

川面に落ちた一枚の葉のように
貴方はするりするりと流れていき
私の手はむなしく水を切る






と、数日前にここまで書いて、投稿しないでいた。今日は空はものすごく澄んで、頬を切る冷たい風が吹いている。信じられない。あんなにお世話になったのに。先生に何もできなかった。今はもう、灰になってしまった先生。








2017/02/09

門は通れない




彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門のしたからに立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。―夏目漱石「門」より




初めて「門」を読んだのは、中学生の時。このフレーズにとても衝撃を受けた。けれども、その理由をうまく言語化することはできなかった。

今なら、分かる。ここでは人間の本質、悲しい宿命を鋭く射抜いているいうことが。




人は皆、主導的に生まれた訳ではない。 I was born、生は受動的に与えられたものである。そんなことを高校時代の友人とワインを飲みながら語った夜。1年前の冬。その夜の帰り道、一人考えながら、受動的に生まれてきたからこそ、自分の存在根拠なんてなく、自分が自分であることに意味なんてなく、自分らしくの「らしく」なんてどこにもないんだということに、気づいてしまった

「門」の主人公宗介は私だなと、思う。この部分は、それでも自分の存在根拠はどこにあるのか探す私が、いくら探してもその答えを探せないことをうまく表している。つまり、門を通ること(答えを見つけることは決してできない。しかし、門(問い)は目の前に依然と、大きく、ある。




同時に、「門」に登場する禅宗というものに惹かれていった。この小説では禅宗の中でも臨済宗を指すが、仏教を勉強していくうちに曹洞宗に惹かれた。そこで見つけたのが南直哉という曹洞宗の禅僧の方が書いた、本。南さんはいう。ブッタの教えを間にうける必要はない。ただ、人生を生きる作法として使えることは確かだと。

だから、曹洞宗の大本山、永平寺に行ってきた。道元禅師が開いたとされる古くからの叡智が結集されたその場所で、その空気を吸いたかった。

雰囲気や建築物としても良かった。でも一番はそこで修行される雲水の方が纏う空気に触れることができたこと。




つくづく思う。この世の中は、人間が生きやすいようにそれぞれ勝手に意味づけをしているだけの通俗的価値観で固まっていると。この俗世界と離れた深山幽谷の地で、厳しい修行に耐えること。彼らの佇まいから、迫ってくる何かを感じた。

彼らも問いがあったのだろうか。人間は決して門を通ることはできないと諦観し、問いそのものを問い、門そのものを見るているのだろうか





仏門に入る勇気はまだないし、彼らみたいに徹底的な精神活動をすることもできないが、それでも、この問いが出ない(門は通れないという苦しみから、一時も目を離さないようにしよう。

この空っぽの世の中で、生きいていくことに、飽きないために。



そんなことを考えさせられた、永平寺。ドンちゃんと行くことができて本当に良かった。ちなみに、永平寺は朝一番に行くことを強くおすすめします。





にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ