My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2019/08/14




まだ太陽が地面を焼き尽くす前の夏の朝、夜の空気は残っていて、木陰をくぐると初夏の爽やかさを思い出すことができて、それでも、蝉はジージーと鳴いていて、真っ青な雲ともくもくの入道雲のコントラスト、どんどんと陽が強くなっていき猛暑が私たちを追いかけてくるなか、息子と散歩に出かける。私の前をずんずんと楽しそうに走っていく息子の背中を見て「最高の夏にしようぜ!」と何度も思う。




平日はもっぱら近所の公園へ。ヨス市は最近、子供が自然の中で遊べるコンセプトの公園を色んなところに開発している。毎日通う公園には子どもの外遊びに詳しい管理人の先生たちも常勤されており、息子もとても慕っている。これも教育の一つだと思うけれど、そのベクトルの方向に以前とは違う変化がみられるような。


パラソルが設置され、水路には水が流れる。俗にいうじゃぶじゃぶ池ですね。水を張っただけのプールには満足せず、液体が持つ特性を確認したい息子にとってはこういった水路はありがたいサンダルを脱いでじゃぶじゃぶと水で遊び、疲れたらベンチでおやつタイム。最近は噴水も追加で作られたので、お兄ちゃんお姉ちゃんたちに混じってキャッキャとはしゃいでいる。

そういえば、こないだ公園で孫を5人連れてきていたハルモニに茹でたとうもろこしを頂いたな。ハルモニ、孫のおやつタイムにとうもろこしだけじゃなく、蒸したジャガイモや殻付きのゆで卵もたっぷり持参していた。孫たちは夏休みが始まってソウルからヨスに遊びに来たらしい。一人一人を紹介してくれた。ハルモニも嬉しそうだったな。(私も公園に持っていくおやつの選び方とかこのハルモニにインスパイアされた)



週末は家族で海が定番になっている。パラソルも買ったので砂浜にさして、そこで砂遊びをしたり、すいかを食べたりする。浮き輪も買ったのだが、息子は寄せては返す波と海水に濡れた砂が好きなので、ぷかぷか浮くことには関心を示さず無念。いつも朝早く家をでて、カフェでお茶した後、11時ぐらいまで海で遊んで、水道で洗って、着替えさせたら公園で遊び、お家でお昼ご飯というコース。もちろん昼寝は三人で。



夕方はドライブがてら順天の湿地が良く見える見晴らしの良い公園に行く。陽が和らいでいるので、そこで走り回ったり、シャボン玉をしたり。先日みた家族はレジャーシートをひいて、テイクアウトしたピザを食べていたな。


こんな風に?平日も休日も息子の夏を最高のものにさせたくて奮闘している。特別なことはできないけれど、ケラケラと笑い楽しそうにしてくれているのは、ヨスのほどよく自然が近くて子育てし易いという環境に因るところも大きいと思う

二人で遊び尽くす毎日。夜寝る前に「今日もたくさん遊んだね。明日も一緒にたくさん遊ぼうね」と息子と約束するのが日課。8月も折り返し。韓国は名残惜しむ暇もなく、すぐに秋が来てしまう。残りの夏も彼と一緒に楽しみたい。








2019/07/31

パパっ子





梅雨が開けた青い空に映える百日紅の花のピンク色。いよいよヨスに本格的な夏がやってきた

それにしても暑い。といっても高くて30度ぐらいなので日本よりはましかもしれない。が、暑い。そして暑いのは気温だけではないのが我が家。息子の父親への愛も熱く、大爆発している最近である

子どもは俗に言う「パパっ子」です。実際に私たち家族を知る人は、「パパっ子だろうそうだろう」と当然のように納得する人も多く、私もそうなることは子どもが生まれる前からわかっていた。というのもドンちゃんがどんなに家庭的で愛情深いということを私が一番知っていたから。実際どんちゃんは雨が降るごとく息子に愛情を注いでいる。もう土砂降りもいいとこ

が、ここまで強烈なパパ大好きになるとは予想していなかったのが正直なところ。

朝起きたらパパパパパパと言ってパパを起こし(私は無視)、出勤するまでべったりくっついてパパと遊び、パパが身支度をし始めるとそわそわし始め、いってきますで号泣。そこからなんとか持ち直し、私と外に遊びにいくも「パパ、あーたい(会いたい」と10分に1回はつぶやき、家で遊んでいてもパパとよく遊ぶおもちゃを指して「パパ!」と言い、帰宅の時間が迫るとパパの車を探し、似ているのを発見すると「パパ!」と叫ぶ。もちろんパパが帰宅すると、すごい嬉しそうな顔で「パパパパ」を連発しパパに突進、そこからもう離れまいとずっとべったり抱っこ。夕ご飯もお風呂もパパがいい。寝かしつけもパパがいないとダメ。たまに残業で遅くなり私が寝かしつけるときは「パパあーたい!」と大号泣で泣き止まず泣き疲れて寝る、といった具合

正直、楽と言えば楽。平日の朝と夜の育児をドンちゃんに丸投げできるからこそ、昼間100%で息子と遊ぶことができる。イヤイヤ期+暑さで大変だけど、概ね育児って楽しいなと毎日充実した日々を過ごせているのは、息子のパパ好きのお陰でもあろう。逆にママっこだったらと思う少しゾッとしてしまう

でもやはりどこか寂しい。今朝はおもちゃに足を取られて転んで顔を打ってしまった子ども。びっくりしたこともあってわーっと泣いてしまった。今までは痛くて泣くときは私じゃないとダメだったし、私に抱っこを求めていたのだが、今日はパパに手を伸ばし抱っこを欲しがっていた。ドンちゃんが抱っこをしたらパパの肩にほっぺをくっつけて泣き止んだ子ども。

今まで子どもに対して感情的になって怒ったことはもちろんないし、それどころか毎日毎日彼に寄り添って彼の意思を尊重しながら大切に大切に接してきたからこそ、その場面を見てちょっとした喪失感を感じてしまったし、悲しくなってしまった。しかしながら、自分のそうゆう気持ちがドンちゃんの育児を邪魔しているなってすぐに反省した。そしてそれは子どもの母子分離、延いては自立の阻害要因にもなるなと。

父親だって育児に参加したい人はたくさんいる。ドンちゃんもその一人で、子どもの色んな成長(それは子どもにとってももちろん親にとっても人生のうちたった1回しかないこと)を見逃したくないという強い思いがあること、それを私と一緒に経験したいことを知っている。自分が持つ最上なものを子どもに与えたいと願っている。父親だからというより、親だから。子どもの親だから。育てて自立させる責任があるから。
(個人的には参加したくなくとも強制参加なのが育児だと考える

育児界隈って新旧が混同していて、最新の教育情報が耳に入ってきたと思ったら化石かと疑ってしまうような呪いの言葉も良く聞く。「子どもはやっぱりママが好きだもん」とか「育児はママの方が上手よね」とか「一緒にいればいるほど愛情が伝わる」とか言った言葉は間違いなく呪いで、ドンちゃんを見ているとそんな言説は一刀両断にできることが明確に分かる。子どもに誠実に向き合う努力をすれば、一緒にいる時間の長さに関わらず子どもは必ず心を開いてくれる。そこに母親だからとか父親だからとかは存在しない。

家の中で子どもに後追いされながら(ほぼストーカー楽しそうに育児をするドンちゃんを見て、女性はもちろん、育児をしたい男性にとってだって、もっと生きやすい社会になればいいなと思う。

悲しくなった自分に反省をして、ドンちゃんの育児をサポートしていかなくちゃ。





2019/06/20

第一次反抗期



外は日差しが強く、少しづつ確実に暑くなっていることを実感できる6月。家を吹き抜ける風が気持ち良い季節でもある。息子のお昼寝中に窓を開けっ放しにして静かに本を読んでいると、あまりの気持ちよさにウトウトしてしまうけれど。



最近読んでいる本は、韓国フェミニズム文学を追うためにパク・ワンソの作品、今も尚自己批判を続けるその姿に感銘を受け久しぶりにクッツェー、チリの詩人パブロ・ネルーダの幼少期を描く児童文学、などなど。少し前は第一次反抗期に関する理論書、児童心理学からアプローチした本も幾つか読んだ。

先月1歳半になり、明日で1歳7ヶ月になる息子。本格的な第一次反抗期に入った模様。一方で世界を捉える力がついてきて、自分の活動をこころゆくまで追求し、自分ができること/できないことを確認し、自分が本当にしたいこと、心の奥底で何を望んでいるのかを知っていく、そんな姿を毎日、毎時間、毎分見れるようになった。世界を試し、知っていくそんな息子の姿が私はすごくすごく好き。

理論武装し、対処法なども頭に叩き込んで臨んだイヤイヤ期。本の通りにいかないことももちろんあったりするが、なるべく息子にゆったりとした時間と、自由に活動できる空間を与えて、自由に様々な体験をさせたいな、と思う。その体験に意味を見いだし統合する過程で自我が形成されるのだから。

同時に私もなるべくゆったりとした気持ちで毎日を過ごすことがものすごく大事。いや、一番大事かも。そのためには、息子のねんね中にのんびりと本を読むことが必要だなと感じる。本を読んで豊かな気持ちになることは自分のためでもあり、家族のためでもあるのだ。



↑おまけ
息子の本棚もだんだん充実してきた!

2019/04/23

根をおろす



子どもとお散歩を一緒にするようになり近所に顔なじみが増えた。そして毎日がグンと楽しくなった。

毎朝公園で会うおじいさんやおばあさん、同じ年頃の子どもを持つお母さんやお父さんたち、夕方になると孫を布団と一緒におんぶし外に出てくるハルモニたち。皆会えば挨拶し言葉を交わし、息子をたくさん可愛がってくれる。

息子を通し韓国人の顔なじみが増え、ついにここで根を下ろすことができたのだなぁと実感する。

もちろん、家族ぐるみで仲良くしている台湾人の友人や、1言えば10理解してくれる日本人の友人たちの存在も大きい。

永住権も取得済みだが、覚悟みたいなものが無い為まだこの地に根を張れないと思っていた。が、実際覚悟なんて必要なかったな。

今年の春、こちらで出会い家族でお付き合いさせて頂いた日本人のご夫婦が本帰国された。私たち夫婦のお手本であったお二人だった。すごく寂しかったが、4年間、とても楽しかった。Rさんに生まれて1週間の息子を抱っこしてもらったことが昨日のことのようで、自分にとってかけがえのない大切な思い出になっている。(Rさん、広島遊びにいきまーす!!)


ヨスに来て7年目、7度目の春。顔なじみが増えた一方で、送り出す側になった。やはりここに根を下ろしたということか。私もヨスの人間なんだな。



2019/04/11

忘れさられた人々、終わっていない話



現在光州市立美術館内にある河正雄美術館で開催中の「잊혀진 사람들,끝나지 않은 이야기(忘れさられた人々、終わっていない話)」を少しお手伝いさせて頂いたのですが、なかなか良いです。

3.1独立運動100周年を記念しての展示で、強制徴用された民間人労働者への忘れられた記憶を作品や資料とともに振り返るものとなっています。

個人的には、強制動員され建設された炭鉱、鉄道、ダムと朝鮮人慰霊碑をテーマに写真と映像にしているアン・へリョンさんの作品や、河正雄さんのコレクションである花岡事件を物語詩にして表現した「花岡物語」の版画(モチモチの木や八朗で有名な滝平次郎さん、牧大介さんが彫った)が見どころだと思っています。

河正雄美術館、是非日本の方に足を運んで頂きたいけれど、光州だから。。。心理的に遠いかな。でも、ソウルからだと釜山よりも近いから、もっと気軽に来てもらいたい。ごはんの美味しさは全国一だし、自然もある、そして民主化運動の歴史も学べる貴重な機会になるはずです。


ちょくちょく美術館には関わって来たのだけど、ブログでなかなか宣伝する時間もなく終わってしまったのがおおい。今年は少しずつ自分が関わった展示に関してもアナウンスできたらいいな。


「잊혀진 사람들,끝나지 않은 이야기(忘れさられた人々、終わっていない話)」は5月26日まで。

2019/04/01

春の味


暖かい日と肌寒い日が交互に続くヨス。子どもとの散歩のために、某アウトドアブランドのアノラックを買ったのは正解。子供と一緒に見上げそこに集まっている蜂の羽の音を聞いている桜も、あっという間に満開。今週は毎日桜を堪能できそう





先日大好きなチャンオタン(鰻のスープのお店に行った時、一緒に出てきたパンチャン達も春仕様。봄나물(春の山菜)が使われていた。野生のウドは味噌で和えて、ノビルは岩のりと一緒に。美味しくてお代わり。

満開の桜を子どもと一緒に見ることが楽しみだったけど、散りゆく頃も楽しみだなと思う。小さな哲学者は桜吹雪にどんな反応をするのかな。




2019/03/13

小さな哲学者の散歩

黄色い小さなレンギョウの花が咲き始め、湾にいる鳥たちもここを発つ日が近いのか、飛び立つ練習に抜かりない様子。ヨスに春が来ました。

子どもにとって2回目の春。1年前はまだ3、4ヶ月で歩くことはおろか、首座りもまだまだな赤ん坊だった彼(成長が遅めだった!)今は1日計3時間以上は外で歩き回る、外で遊ぶことが大好きなわんぱくな幼児に成長しました。

朝から昼まで外を歩き回り、お昼を食べてお昼寝をしたら、また夕方まで外で遊ぶ毎日。子どもはもちろん私もすでに日に焼け、寝かしつけの7時半には自分もいびきをかいて寝そうになりそうなほどクタクタ。けれども、動き回る子どもを見るのはとっても楽しい。

例えば、子どもが影の存在に気付いた時。影を見ながら、振り向いたり、戻ったり、曲がったり、歩き方を変えたり、初歩的だけど確かめる方法論が身についていてびっくりしたり

水溜りを見つけたら、手でバシャバシャするのがお気に入り。水が色々な方向に飛び散る様が、叩き方によって変わることが面白いみたいで、それは同時に液体が持つ特異現象を発見でもあるなと思ったり。

鳥の鳴き声に身体をバウンスしたり、笑いながら歩いて、立ち止まって回ったり。

自由に何かを思いつきながら動く様はまるで小さな哲学者。そんな姿を見て、子どもにとって自然の中で自由に遊ぶ重要性を感じました。毎日特に予定もなく、子どもと外をあてもなく自由に散歩するのが日課だけど、これからも出来る限りそうゆう時間を与えていきたい。子どもにとって人生のほんの一瞬だけど、とても大事な時間だよなぁ。

ベビーカーを使わずあんよが基本な分、抱っこの要求にも耐えねばならず、私の腰も悲鳴をあげているけれど、もう少し踏ん張っていこうと思います。。。。

小さな哲学者の散歩、日々記録していこう。

追記
毎日子どものペースに合わせて子どもを自由に遊ばせてあげられるのは、私の精神状態に余裕があるから。それはどんちゃんの存在が大きい。朝は早起きの息子と一緒に起き、朝ごはんの支度して、朝ごはんを食べさせ、顔を洗いスキンケア、オムツ替え、そして私を起こしてくれる。夜もすぐに帰ってきてくれて、メインで育児を、子どもが寝てからは家事をしてくれる。休日ももちろん育児のメイン担当者はドンちゃん。我々はチーム育児として子どもの健やかな成長を目標に日々奮闘してます。(つまり、私が人間として大きいので余裕ある育児をしているわけでは決してないということを書きたかった、いやそもそも余裕あるのか?!)



2019/02/07

向こうの世界




約1ヶ月に渡る日本滞在から帰ってきた。日本での息子は、ちょうど歩き回る楽しさを知った時期だったので、彼にとっての世界がぐんと広がったよう。そんな息子の毎日は自己の可能性を実現していく機会で溢れており、小さな成功の積み重ね。またこちらにとっても、凝り固まった考えてや先入観にとらわれず、素直な感受性を持って自由に行動する彼を見る楽しみで溢れる毎日だった

息子が喜びを持って1日を終わることができた日、私にとってもそれは意味のある1日である。実家では色々な雑務から解放されるので(ヨスの自宅でも大して家事してないけど)夜は、さらに息子と過ごしたその日1日を思い返し、その意味を問い直し、深めることができた。

今回の滞在でとても印象に残った遊びがある。それは息子と一緒に外を眺めるというもの。夜の真っ暗になった外を眺めるのがお気に入りなんだけど、そこでは必ずカーテンに一緒に包まりながら眺めるのが彼にとって重要なポイントだった

ただ眺めるのではなく、どうして「カーテンをひいてその中で外を眺めるの」ことが好きなんだろうって考えていてハッとした。これは彼にとっての向こうの世界なんだ。カーテンをひくことで、他の空間と遮断しているわけで、つまり現実の世界と遮断して、カーテンの中は彼にとっての別の世界になっているのではないのかなって。これは息子にとって向こうの世界への原体験なんではないかと。

子どもって、現実と想像の世界を簡単に行ったり来たりできるじゃない。私自身もそうだったなと思い出した。自分が生活する周囲にはいつもどこかにどこにでも向こうの世界への入り口があった気がする。テーブルや机の下だったり、お風呂の湯船の中、毛布で作ったテントの中だったり。自分だって、カーテンの中で真っ暗な外の世界を眺めることが好きだったし、そのとき感じたのは現実の世界とは違う、自分だけが知っている別世界だったよな。

息子はまだ自己認識できていないとは思いけれど、きっとそうなんだと思う。私の手をひいて窓際に一緒に行き、カーテンをひけと私に指示に、2人で窓を眺める。この空間は息子にとって現実とは違う向こうの世界だったんだ。そこに私を入れてくれたことが嬉しかった。それはきっと私が息子にとってまだ内側にいる存在だからだと思うけれど。

育児の幸せは多々あるけれど、子供のころに不思議に思ったことや、怖かったこと、誰にも言っていない、それでいてずっと記憶にあった、そうゆうものを自分の中に発掘したり、我が子の中に発見したり、そういった人生の宝物ではないけれど大切な何かに再び会える、ということも子どもを育てながら得られる幸せの一つだなと思った。


自分にとって意味のある日本滞在だったな。こんな風にヨスでも育児して行こう。よきよき。





2019/01/18

挨拶




日本に帰省して2週間。麦とホップという発泡酒しか飲んでいないことに気づき、軽く絶望しながら、軽く酔っ払いながら、このブログを書いています。今年初のブログだ!と思っていたら、2日にも更新していたことに気づきました。でもまあ「今年初」という体でちょっと書いてみます。

今年は何をしようかな。どんなことをしたいかな、と近頃は考えています。最大の目標は陶芸に復帰。これは案外あっさりと叶いそう。息子が卒乳したので週末はドンちゃんに育児を任せて、高速バスに乗って通うことはできそう。出産前と同じような5キロ以上をひけるようになるには随分と時間が必要になりそうだけど。

あとは、ヨスで旅人に出会った時、その人をもてなしながらよすについての物語を話せるようになりたいな。ヨスのこと、ヨスで暮らす人々、ヨスと自分の家族のこと、ヨスでやりたい夢や希望とか。自分の住む街について話せるっていいなって。人間を旅人と現地人の二つに分けるとしたら、
今まではどこかで自分は旅人でありたいと思っていた。けれど、今は現地の人でありたいなと思います。一つの土地に家族と一緒に生活していくことも、世界中を旅することと同様にそれ以上に魅力があるよなと。常にヨスで暮らす「自分」だったけど、今年は自分が暮らす「ヨス」について、もう少し考えていきたいところです。

そして何より、育児。今この瞬間を子どもが幸せに過ごせるようにと育児をする、そんな自分でありたい。なるべく。それを積み重ねていきたいです。どんな親になりたいか、よりもどんな親子関係を築いていくかにフォーカスしながら、今年も育児を楽しんでいきたいな。

ブログはこれからどうしようと考えていました。毎日クタクタに疲れちゃうのでブログを更新する時間もなく、気力もなく。育児に関して書いていきたい気持ちもあるけれど、息子との些細で幸せな日々は自分の胸の内に秘めておきたいという気持ちもあり。もうブログも潮時かな、と思ったのですが、やはりアウトプットできる空間は確保しておきたいし。

どんなブログを書いていくか、これを今年の課題の一つにしてコツコツと続けていこうと思います。2019年、今年もよろしくお願いします。

写真は今年さっそく買ったおもちゃたち。ままごとも積み木も美しい。




2019/01/02

1年10ヶ月ぶりに



1年10ヶ月ぶりにお酒を解禁した。最初の1杯はアサヒスーパードライ。あんなに飲みたくて仕方がなかったはずなのに、美味しくなくてびっくりした。あれ、こんな味だったけ?ビールが大好きだったから、ちょっと悲しかった。

酒解禁のわけは、13ヶ月に及ぶ授乳生活が終わったから。息子、卒乳してしまった。元々母乳信者でもなかったし、6ヶ月ぐらい続けてあとはミルクに移行しようと考えていたぐらいだったので、早く卒乳してくれるといいなぁとは思っていた。けれど、こんなに早く終わりが来るなんて。自分が思っていた以上に寂しくなってしまった。

とはいえ、そろそろ終わりの時期かなぁとは感じていた。飲む時間も回数もどんどん縮小していったから。結果的に最後になった授乳は「あ、これが最後かも」と思いながら授乳することができた

なかなか上手に飲めなかったり、飲みながら寝たり、ニヤニヤしながら遊び飲みしたり。飲みながらだんだんと熱くなってくる頭や首筋、いつもよりよく見える耳、私の腕に絡みつこうとする足、飲み終わったあとの満足そうな笑顔。

1年とちょっと、色んな表情を見せてもらったし、成長とともに色んな経験をさせてもらった。どれもこれも今日でさよならなんだ、と思いながら授乳ができた。寂しいけど悔いなし。



久しぶりのビールは美味しくなかったけれど、大晦日にドンちゃんと開けた白ワインと元旦に飲んだ生マッコリは美味しかった。やはり人生にお酒は必要である。1年9ヶ月のブランクを埋めるため、今年はどんどん飲酒していこうと思う。