My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2015/07/31

戦利品と知的興味




話の発端はこうだった。

父と母とお酒を飲んでいた夜のこと。私が韓国の既得権益集団は植民地時代と深く関係があるということを話していたら、父が台湾に行ってきて感じた、台湾の既得権益と植民地時代との関係の話になった。そこから既得権益と植民地というテーマになり、それをいったら、やはりイギリスのインド植民地と莫大な資産を持つイギリスの既得権益たちだよねという結論に至った。イギリスは永遠だという皮肉を吐きながら。

イギリスがらみでアフリカはケニアの話になり、そこから父と母が鑑賞した「おじいさんと草原の小学校」という映画の話になった。イギリス植民地から独立したケニアでおじいさんが小学校に通う話で、おじいさんの植民地時代の描写が残酷且つリアルでイギリスについて再考察する際の材料なったというのが父の意見。そこから映画がらみで岩波ホールの話題に移った。

そこで、私の知的興味を思いきり揺すぶられたテーマに出会ったのだ。

岩波ホールは父を含め母も弟もよく通う映画館。特に父はこれだと思う映画が上映されるとすぐに鑑賞しにいくのだが、そんな父が今まで岩波ホールで観た映画の中で一番印象的だったというのがワイダ監督の「カティンの森」だと言ったのだった。

カティンの森とは第二次世界大戦中に実際に起こったカティンの森事件を題材にしたポーランド映画。カティンの森事件とは、簡単に言うと、第二次世界大戦中にポーランドに侵攻したソ連が捕虜としてポーランド軍の将校や少尉たち2万人を拘束し、森の中で虐殺した事件。大戦中にこの事件は明るみになるが、冷戦後のポーランドは共産圏。ソ連下ではこの話題に触れることも許されなかったそう。

監督ワイダ自身の父親もこの事件の犠牲者の一人。彼自身ライフワークとしてずっと事件の究明を続けていたそう。89年の民主化を経て、ようやく映画が完成したのはワイダが80歳を超えてから。父曰く、ワイダの執念を感じる作品だったそう。

と、前置きが長くなったが、私の今の知的興味の対象は「ポーランド」

ドイツとロシアに挟まれて、戦時中は両国から侵攻された国。44年のワルシャワ蜂起を含み、悔しくも両国に翻弄されたこの経験が国民にどう反映されているのか、今のポーランドの社会や空気にどう影響を与えているのか、を猛烈に知りたくなった。




ということで、日本で買ってきた戦利品。中山先生がご夫婦で書かれた「東欧圏の露頭ポーランド―風土と歴史―」をまず読みながら、ポーランドに対する自分の疑問への答えに少しずつ近づいていく計画。調べてみたら日本はポーランド研究の文献がかなりあって、基礎固めとしてまず初めにどれを買おうかと迷ったけれど、これにした理由は第四章の「スラブ民族と塩」という部分のそそられたから。塩を軸にポーランド地域のスラブ民族について論じているなんて!!こりゃあ、おもしろそう、読まなくちゃって興奮したから。

こんなにもポーランドに興味をそそられるのは、父の「カティンの森事件が冷戦の引き金となっている」という発言に衝撃を覚えたという理由もある。冷戦の最初の引き金となったのは、大戦下であってしかもポーランド問題だったという意見に思い切り知的興味を揺すぶられた。ゆえに、父から永井陽之助の「冷戦の起源―戦後アジアの国境環境」の「第三章 リヴァイアサンの火」の「三 悲劇の根源―ポーランド問題」を参照文献としてコピーさせてもらい持って帰ってきた。


もちろん、ワイダ渾身の作品「カティンの森」も週末時間がある時にドンちゃんと鑑賞する予定。すでに韓国語字幕を準備した。いや、本当はこうゆうのは大学院時代の友人たちと日本酒を飲みながら鑑賞して、熱く語りたいのよ。それができないのが悲しいが、しかし私は自身の知的興味から来るポーランドに対する疑問を色んな本を読んで映画を見て自分の言葉で解決をして二人に聞いてもらうのだ。




と、日本から買ってきた戦利品の二つ目。これはけっこうかなり本気の戦利品。「日本民族文化大系9 暦と祭事―日本人の季節感覚―」という名前だけ聞いても、ヤバいぐらい素敵な本だとわかる装丁も立派な本。民俗学の大家たちの論文が集まっていて宮田登が著者代表として載っていたのが購入理由。しかも、なんと昭和55年で4500円、今だと1万円は超える。さらに古本なのに誰かが読んだ形跡ゼロ。それを400円ぐらいで買った私。ひゃっほー。

宮田先生に期待していたのだけれども、それを上回ったのが「第四章 祭りー原空間と民俗」、タイトル読んでびっくり、原空間と民俗って!!原空間だよ!!この本の中でも異彩を放っている。著者は薗田稔、やっぱりね。さすがだと唸った。

ってまだ読んでないけど、大事に読むの。


以上、日本で買ってきた戦利品二冊とそれにまつわる自分の知的興味についての話でした。私の知的興味を刺激してくれる父にはいつも感謝。




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2015/07/30

新しい家族



甥っ子が生まれたのは寒い寒い真冬の大晦日。そして今回、暑い暑い7月下旬の真夏に、姪っ子が誕生しました。ドン姉が第二子を無事に出産です。

今回、きっかりと予定日で産むために陣痛促進剤を打って臨んだらしく、とても大変な思いをしたらしいドン姉。私たちもドン姉が35歳ということを考えると、初産ではないとはいえ心配な気持ちが少しあり…ハラハラしていましたが、母子ともに健康ということをドンママから聞きほっとしています。

甥っ子GTもお兄さんに、妹なのでオッパになるんだって思うと嬉しい。ただ、女の子ということに一抹の不安を抱く私たち夫婦。おそらくそれは親戚中の不安でもあって、つまりそれは女子の外見にシビアな韓国社会で、果たして彼女はやっていけるのだろうかという、失礼極まりないおせっかいなのだけれども。ま、そんな不安はさておき、元気ですくすく育ってくれるだけで充分です。

韓国では特に日本みたいな出産祝いという慣習はなく、出産したからといってお金やプレゼントを贈ったりしなくともいいみたい。その代り100日を祝うトルチャンヂでお祝いを準備します。でも気持ちとしてドン姉に何かプレゼントしたいなって考えています。おめでとう、お疲れ様って。


あ、そうそう、姪っ子の名前はまだ知らないのですが、胎児名がハピネスだったので(プッ)、勝手に幸子と呼んでいます(爆)


早く、幸子に会いたい。


写真は幸子とも何の関係もないものです。日本でやっとセラミックの焼き網を買ってきたので、念願のトーストを毎朝焼いています。美味しいです。今度はパプリカを焼きたい。


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2015/07/28

夏と家族と




二週間の日本滞在を経て、ヨスに戻って来ました。

日本はとっても暑かったけれど、今日のヨスも随分と暑い気が。けど風があるので、少しだけ快適に過ごせています。帰ってきた瞬間は、やはりいつものように気力がなくて、どうしても日本が恋しくなってしまうのです。が、トランクをギュウギュウにして持ち帰ってきた荷物を片付けて、お布団カバーやシーツを洗濯して太陽の下で干して、冷茶を作ってボトルに入れて、掃除して、食卓を綺麗に磨いて、そんな風にして少しずつ、日常を取り戻しています。少しずつ。




今回の帰省は色々と事情もあり、家族と過ごすことに決めていました。いつもは友人たちにバンバン連絡をするのですが、今回はそれを控えて、家族との思い出作り。遠出はしなかったけれども、最後の5日間はドンちゃんも来日して、とっても濃く充実した家族の時間を過ごすことが出来ました。

特に今回は、父と母とお家でもお店でもお酒を飲んで語る時間を多くとることができ、自分の中で新たな両親を発見したことが大きな収穫でした。いや、新たなというと語弊があって、ずっとそこにあったものだったのだけれども、なかなか気づかなかったというか。今まで、父たちから聞く話って、「私の中の父との物語」であったのです。でも今回は「父の物語」としての私との関係を聞くことが出来ました。もちろん母も。それは私たちが共有する思い出たちの、その奥に隠されている両親の想いや考えであって、両親が両親である前に、私みたいに悩んだり迷ったりする一人の人間だったんだなって気付けた、リアルな部分でした。

尊敬してやまないお父さんやお母さんとこうゆう話ができるようになったからこそ、大人になってよかったなって思えるし、結婚して実家を出て、いつも一緒にいたお父さんやお母さんと離れることはものすごく辛かったけれど、前よりももっと素敵な関係になれた気がします。何より、両親が作り上げた家族とは別の新しい家族を作っていけるようになることの大切さを実感しました。




そして、今回ものすごい楽しい時間を家族と過ごせたのは、やはりドンちゃんの存在も大きいです。
大きなプロジェクトを目の前にしながらも、しっかりと仕事を調整し来日して、家族と時間を過ごしてくれたドンちゃん。彼の嘘偽りのない心から私の家族を大切に大切にしてくれる気持ちと行動が両親たちにしっかりと届いているからこそ、一緒にみんなで過ごせることが心から楽しいんだと思う。

楽しかった分、空港でのお別れは辛かったけれど。



ドンちゃんと私という夫婦という関係ををもっともっとぎゅっと素敵なものに進化しながら、同時に両親との関係も今より更に素敵で楽しいものへアップロードしていきたいな。ヨスに帰ってきた今、そんなことを想います。





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2015/07/20

言語習得までの道



ドンちゃんが日本語の勉強を本格的に始めて早…はや…どれぐらいだろ?

始めたころは絶望的で、これじゃあ一生私が韓国語をしゃべり続けるしかないのかなって思ってたのだけれども、けっこうかなりドンちゃんは頑張っていて、それが最近になり形として見えてきました。


その結果が、以下。


↑その① 家に帰る連絡



↑その② ご飯を食べている連絡



↑その③ パン


以上の画像は二人の連絡手段の一つであるアプリを切り取ったもので、こうゆうのをブログに載せるのは、皆様のお目を汚してしまうと思ったのですが、ドンちゃんの日本語の成長過程の証ということで、ご理解して下さるとうれしいです(汗)

画像を解説すると、左側がドンちゃんで右が私です。ちなみに私のアイコンはスターウォーズに出てくるジャジャ。なぜなら私に似ているので顔が。で、見ての通り、なんと使用言語が日本語。しかもきちんと意思疎通も出来ている。むしろ自然な感じに会話している。しかもほぼ日本語のミスはない(ちょっとおかしいけど)

そして何より「えっと」とか「ああ」という間投詞を日本語で使っているということを私は評価したいんです。ドンちゃんのレベルだと、ネイティブみたいに自然に「えっと~」とかが出ているわけではないのは確かなんですが、無意識じゃなくてわざとらしくても、意識的に使うことがやはりものすごく大事な訳で、しっかりと日々の会話から使うように努力するドンちゃんの姿勢はやはり評価に値すると考えるからです。

(私の場合で置き換えると、韓国人と話をする時は「うーんと」とか「えっと~」は使わず「オー」って言うように心がけていました。なので今は自然に出てくる。)


ただ一点注意するとするのならば、やはり濁点。清音と濁点の使い分けができていない点。でもこれはしょうがない。韓国人にとって無声音(濁点なし)と有声音(濁点あり)を耳で区別するのはかなり難しい。

というのも、日本語は無声音kaに対して有声音gaが対立するのだけれども、韓国語にはこの対立がなく、その代りあるのが平音kaもしくは ga に対して激音khaと濃音 ʔkaの対立なのです。え、でも文頭は清音で文章の中にあると濁音になるじゃんって思われるかもしれませんが、それは音声学的に有声音にはさまれたら無声音が有声音になるだけで、韓国人自身が清音と濁音を意識的に使い分けている訳ではないのです。

ということで、ドンちゃんの耳はまだ聞き分けられない。私が濃音と激音を聞き分けるのが大変なようにドンちゃんも大変なんだな~って連絡のやり取りをしながら思いました。でも、それを差し引いても、ドンちゃんの頑張りが実を結び始めていて、それを評価したい気持ちは変わらずです。

ちなみに、

ドンちゃんが続けている勉強法は、ネイティブの発音する構文や何かの文章を聞いて、それを何度も何度も声に出しながら丸ごと覚えるという方法。決して読んだり、書いたりして覚えるのではなく、耳で聞いて声に出す、口が慣れるまでっていう方法なので、家ではいつもうるさい。でも、これ、スピーキングを鍛えたい人には効果的だと個人的に思います。私自身、色んな勉強法を試してきたけれど、一番効果的だったのは教科書の会話文を口に出しながら丸ごと覚える、つまりは最終的に教科書の会話文をネイティブの発音でそらでスラスラと言えるようにするという方法でした。なのでドンちゃんもこの勉強法でスラスラ言えるフレーズをコツコツと貯めていけば、いつか必ず日本語がペラペラになると思うんだ。頑張ってほしいな~


なぜそんなにドンちゃんに日本語を習得させたいのかといえば、将来の家族の問題。子供が出来たら、外では韓国語になってしまうので、せめて家庭内の共通語は日本語にしたいなという思い。ちなみに私たち夫婦、韓国でも日本でもない第三国で育児をするというプランもある。そうしたとき、やはり家庭内使用言語をどれで統一するのかが問題になるわけで…選択肢が一つよりも二つあった方がいいよなという思いもあり。


あとは、やはり私だけ韓国語と日本語ができて、ドンちゃんが日本語はだめで韓国語しかできないっていうのは、子供にとってどうなんだろうという疑問と家庭における夫婦のパワーバランスが悪いな~って思うんです。夫婦が両国の言語をお互いできたら、それが一番いいに決まってる。


なので、この夏もドンちゃんには引き続き頑張ってもらうつもりです。私も精一杯サポートするぞ!





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2015/07/19

不安で震える日々



一週間前、指導教授に修論のアウトラインを送ったが返信が来ない。
今までの指導教授たちは、受け取ったらすぐに、確認といついつまでにフィードバックを送るという旨のメールを下さったのだが、今回はそれすらない。

ふ あ ん 

教授からの返信を待つ時間が1週間もあると、普段能天気な私も悪く考えがちになる。
なぜ一週間も返信がないのか、その理由を頭の中でぐるぐると考えてしまう。

以下、私が考え抜いた理由

理由その① 体調が悪い

指導教授は体が弱い。常に顔色が悪く、授業も半年に一回は休講になる。
それは慢性的なもので、些細なことで体のバランスが崩れてしまうらしい。
ゆえに、雨が降ったり、熱くなったりする最近、
今はパソコンさえ触れない状況というのもありえる。

理由その② 出来が悪い

生徒が提出したアウトラインの出来が悪く、どう返信すればいいのか悩んでいる。
出来が悪いとは以下の二つの事

1) アウトラインとしての精度が悪い
(全体のボリュームやバランスの問題、章立てで不足部分や不必要な部分が目立つ)

2) そもそもテーマが良くない


おそらく理由は①か②のどちらかで、超個人的な意見としては②はまぬがれたいのだが、
教授の事が好きなので①だとしても心が痛い。とここまで書いていて理由③が存在することに気づく。

理由③、出来の悪いアウトラインを読んで体調が崩れた

理由②の要素が結果的に理由①を引き起こしたパターンである。

ありうるか?現実味は薄い。しかし、私のアウトラインの出来の悪さだけではなく、常日頃色々な要因で教授の身体がギリギリのところまで来ていて、最終的にタイミング悪く私のアウトラインを読んでしまい限界値を越えたと、仮に考えてみればなんとなく現実味は帯びる。

ふあん。不安すぎて、自分が添付したファイルを見返すことができない。いや、見返せよって感じだけど。

とりあえず、教授が健康でいて、早く返信が来ることを願う日々である。



化粧水をつける手も不安で震える。
なーんてね。




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2015/07/17

幼少時代





読みたかったのは、エーリヒ・ケストナーの私がこどもだったころ。

4月末にドイツのドレスデンを訪れた際、激しい空襲を受けてもなお希望を捨てなかった街の雰囲気だけではなく、ドイツ歴代皇帝のマイセンの壁画だけではなく、美味しいソーセージをはしごしたことだけではなく、カフェテラスで飲んだビールの味だけではなく、絵本作家のケストナーの小さな博物館もとても記憶に残っていた。

そこは小さいけれど美しいお庭があって、ミュージアムだとは思えないぐらいこじんまりとした建物ででも入り口には、お馴染みのヴァルター・トリーアの絵があって、ここだよって教えてくれた。決して広くはないけれど、自分で引出しをあけて観覧するおもしろい展示方法で、わたしはそこでケストナーが絵本作家だけではなく、詩人や批評家としてとても幅広い活動をしたと知った。そこでもう一度、実家にあるケストナーの本を、とくにわたしがこどもだったころをもう一度読みたいと強く思ったのだった。

念願の本を手に取り、読みだして早々に目に留まる箇所があった。それはまえがきの部分。ケストナーが幼少期を少しだけ振り返った時に、暦は50年以上前だというが自分にとっては昨日のことなのだと思う、記憶に対する暦と自分の感覚がなぜ違うのかという疑問について語ったところ。


双方とも正しい。二通りの時間があるのだ。一つの時間は、ものさしで、コンパスで、六分儀で計ることができる。道路や地所を計るように。だが、われわれの思い出は、別の時間の計算であって、メートルや月、十年の単位やヘクタールとはなんの関係もない。忘れてしまったことは古く、忘れられないことは昨日あったことだ。ものさしは時計ではなくて、価値である。そして一番価値のあるのは、楽しいにせよ、悲しいにせよ、幼少時代である。忘れられないことを忘れるな!


時間の計り方が二通りあり、思い出が昨日のように感じるのは「価値」がものさしになっているからだと、いうケストナーの考え方に感銘を受けたのだが、一番ぐっと来たのは「一番価値のあるのは「幼少時代」だ」と言い切ったところ。

というのも、幼少期が最近の私の一つのキーワードになっていたから。

先日韓国で公開されたピクサー映画の「inside out(邦題はインサイドヘッド)」を鑑賞したとき、幼いころ過ごした時間や経験が自分のパーソナリティーになって大人になった今でもものすごく影響を与えているということをふと、感じて。

何より、私には年が近い弟が二人いるのだが、二人とも結婚する予定の彼女がいるというのを最近知って。それがきっかけで、弟たちのことや弟たちと過ごした幼少期を最近ものすごく考えるようになった。お互い大人になったけれど、ドンちゃんとも友人とも親とも違う特別な存在。そして、私の幼少期は彼らの存在なしでは成り立たず、彼らは私の人格形成にものすごい影響を与えていて、そして私も彼らにものすごい影響を与えているんだなと。


てな感じで、幼少期を掘り下げて今の自分につなげていく作業は本当に大事だと思っていた時期に、ケストナーの上記の言葉に巡り合ったわけです。自分の幼少期の大切な思い出たち、昨日のようにはさすがに感じることはできないけれど、でもものすごく身近にあることは確か。忘れずに大事にして、引き続き、今の私の原点をさがしていかねば。

そして願うことは、世界で唯一無二の存在である弟たちの幸せな未来。


最後に、せっかくなのでドレスデンで撮った写真を載せます。














↑ケストナー博物館






↑美味しかったソーセージ




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2015/07/14

韓国のお味噌で




イラン核交渉、ギリシャ危機、安保法案と、久しぶりに開いた日経新聞の中は相変わらずせわしない。どれも新聞の外で情報を追っている話題なので、横目で流しつつ、やさしい経済学に注目すれば、なんと東大の岩本先生(公共経済学)今日が最終回だったようで、遡って読むことにしました。せわしない世の中と対照的に、のんびりしている私。


写真はチョングッチャンという韓国の家庭ではお馴染みの納豆風味のお味噌。普通はチゲにして食べるのだけれども、我が家では牛肉をじゃぶじゃぶで食べるときのスープとしてお鍋に解いて使っています、主に。これでじゃぶじゃぶしてご飯にのせて食べるのが私もドンちゃんも大好き。




が、この間、日本のお味噌汁を作っていた時に、肝心の日本のお味噌が切れていたことに気づきました。韓国の味噌で対応するしかないなーって思い、これを使ってみたら大成功。日本のお味噌の感覚で使えてなおかつ美味しい。

出汁は鰹風味が強いだしの素、具はジャガイモとわかめ。いりこ出汁が基本でお豆腐やキノコなんかを入れるチゲとは明らかに違ったので、合わないことはないけれど、たぶんチゲよりは微妙なのかなって思っていたのですが、すごくいい。納豆風味ととジャガイモのホクホク感がばっちり。

ただ味噌自体に塩はもちろん唐辛子の粉も入っているので、たくさん使うと激辛です。少しでもやや辛いので。


納豆好きな方は是非、お試しあれ。



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2015/07/11

梅仕事、その後




先日書いた梅仕事の続き。備忘録もかねて。

5キロの梅は、3キロを梅シロップに、1キロをチャンアチ、1キロを梅ジャムにした。

写真は梅ジャム。梅は割って種をとって、半分のお砂糖と混ぜて水分が出たら残りのお砂糖を加えて、お鍋でとろ火でコトコト。途中ものすごく灰汁が出てくるから、根気よく取る。味は甘酸っぱくて本当に美味しい!ヨーグルトとの相性が抜群で、ドンちゃんもお気に入り。すでに一瓶を消費してしまったので、来年は2キロで作ろうかな。



こちらはチャンアチ。三週間たったので、ほぼ完成。韓国では3か月から3年ぐらい発酵させるみたいだけど。私はこれぐらいで十分。

作り方は、梅シロップと違い、実を割って種をとること。私の場合、疲れたので小さい包丁を使い種の周りをそぎ落とすようにしました。お砂糖は実の8割程度。

出来上がった実は、コチュジャンとすりごまで合えて、ごま油をたらりとかけるとものすごく美味しい。夏にピッタリな甘酸っぱいおかずになります。




実が浸かっているシロップは梅シロップとして、お水で割って飲めます。おいしいよ。ただ、3か月以上熟成させたものと比べると味は薄い。

ちなみにチャンアチは、実がすべてなくならない程度に潰して、ヤンニョンとして使いたいというのが今年の夏の野望。料理のアクセントとして、お肉をつけるタレにしたり、野菜と絡めたりして使いたいな。


3キロの梅シロップはまだまだ熟成中。15リットル用の保存容器で作ったので、場所を取るのですが、毎日振りながら様子を見るのが楽しいです。

おいしくなあれ!


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2015/07/10

新しい場所で





いつもバスから眺める市場では、とうとうトウモロコシがお目見え。雨と雨の合間を縫って、おばあちゃんたちがせっせと皮をむいていて。日本のそれに比べると小ぶりで色も薄いけれど、それでも蒸してかぶりつきたい衝動に駆られました。

今週でやっと二週間。陶芸を新しいところでスタートして。実は、最初はちょっと胸が痛かった。ヨスで教えてもらっていた先生たちのことも嫌いじゃなかったし、たくさん可愛がってもらっていたから、新しい風景を見ながら「私、本当に慣れ親しんだところを離れたんだな~」って胸がチクチクしたのです。でもそれは最初だけで、二週目からはこれっぽっちも思い出さなくなってたけど。




新しい場所で、私は轆轤の利き手を変えました。右手に。

実は私、二年間、轆轤の利き手は左手。轆轤の回転は反時計回りでした。が、普段何をするにも、例えば字を書いたり、ボールを投げたり、裁縫をするにも、利き手はすべて右手だった私。つまり右利きなのに、左手で挽いていたということ。それに対しては疑問すら湧かなかったけど。

韓国の陶芸界では利き手が右手なら轆轤も時計回りで右手になるのが普通、というのを初めて聞きました。というのも、やはり5キロ以上の土を挽くとなると、普段使う利き手の方が指に力をぐっと入れられるので、体にかかる負担が少なくなるから。たしかに、私は左手を使っていたので、重いものを挽くときは身体を前のめりにして体重をかけていたなって気づきました。これはかなり体に堪えるのです。

ということで、心を決めて、新しい先生のもとで、右手で教わることに。が、思っていた以上に全然できない。中心を掴むことすら難しい。いくら右利きでも、回転が違うので遠心力に指が負けてしまいます。2年かけて習得した技がすべて水の泡になる感覚。また一からだ~って。

でも先生曰く、もともと左ででできていたんだから、一か月で同じレベルにまでなるよとのこと。現に感覚が来るのも早く、すでに5キロで長い筒を作る練習までいけました。まだまだだけど。焦らず、じっくり手を慣れさせていこうと思います。

そして通い始めてから、なんだか陶芸と自分の未来をものすごく具体的に頭の中で描いていけるようになりました。大学院卒業して、仕事しながらも陶芸をして、大きな窓があるアトリエを作って、同時に子育てをして、という自分の姿、以前は描けなかったのです。陶芸をする自分の姿を描きたくてもどこかでそれを疑心する自分がいて。

描くことができるようになったのは、新しい場所に独立を目指す人たちがいるから。ヨスでは周りの人たちが皆作家たちだったけど。でもここは具体的な計画の途中の人たちが多く、しかも年も近い。彼らが「こうするんだ」と口に出す陶芸家としての夢は、どれも良い意味で現実的で具体的。そして実際に計画し実行に移している。

つまり、何というか、近い夢を持つ人たちの具体的にそれを叶えていく過程が可視化しているので、自分の頭の中にすーっと入ってくるんです。頭の中に入ってきて、それを私に置き換えながら、自分なりの輪郭をひいていけるのです。彼らの存在がものすごいポジティブな力になっています。この年になってようやく、同じ志を持った仲間って大事なんだなって実感しました。冒険をするには仲間が必要だっていうけれど、本当にその通りなんだなーって。


そんなこんなで、新しい場所でも、一生懸命楽しくやっています。やっぱり、ものすごく、陶芸が好き。きっぱりと。


トウモロコシも好き



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