My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2019/07/31

パパっ子





梅雨が開けた青い空に映える百日紅の花のピンク色。いよいよヨスに本格的な夏がやってきた

それにしても暑い。といっても高くて30度ぐらいなので日本よりはましかもしれない。が、暑い。そして暑いのは気温だけではないのが我が家。息子の父親への愛も熱く、大爆発している最近である

子どもは俗に言う「パパっ子」です。実際に私たち家族を知る人は、「パパっ子だろうそうだろう」と当然のように納得する人も多く、私もそうなることは子どもが生まれる前からわかっていた。というのもドンちゃんがどんなに家庭的で愛情深いということを私が一番知っていたから。実際どんちゃんは雨が降るごとく息子に愛情を注いでいる。もう土砂降りもいいとこ

が、ここまで強烈なパパ大好きになるとは予想していなかったのが正直なところ。

朝起きたらパパパパパパと言ってパパを起こし(私は無視)、出勤するまでべったりくっついてパパと遊び、パパが身支度をし始めるとそわそわし始め、いってきますで号泣。そこからなんとか持ち直し、私と外に遊びにいくも「パパ、あーたい(会いたい」と10分に1回はつぶやき、家で遊んでいてもパパとよく遊ぶおもちゃを指して「パパ!」と言い、帰宅の時間が迫るとパパの車を探し、似ているのを発見すると「パパ!」と叫ぶ。もちろんパパが帰宅すると、すごい嬉しそうな顔で「パパパパ」を連発しパパに突進、そこからもう離れまいとずっとべったり抱っこ。夕ご飯もお風呂もパパがいい。寝かしつけもパパがいないとダメ。たまに残業で遅くなり私が寝かしつけるときは「パパあーたい!」と大号泣で泣き止まず泣き疲れて寝る、といった具合

正直、楽と言えば楽。平日の朝と夜の育児をドンちゃんに丸投げできるからこそ、昼間100%で息子と遊ぶことができる。イヤイヤ期+暑さで大変だけど、概ね育児って楽しいなと毎日充実した日々を過ごせているのは、息子のパパ好きのお陰でもあろう。逆にママっこだったらと思う少しゾッとしてしまう

でもやはりどこか寂しい。今朝はおもちゃに足を取られて転んで顔を打ってしまった子ども。びっくりしたこともあってわーっと泣いてしまった。今までは痛くて泣くときは私じゃないとダメだったし、私に抱っこを求めていたのだが、今日はパパに手を伸ばし抱っこを欲しがっていた。ドンちゃんが抱っこをしたらパパの肩にほっぺをくっつけて泣き止んだ子ども。

今まで子どもに対して感情的になって怒ったことはもちろんないし、それどころか毎日毎日彼に寄り添って彼の意思を尊重しながら大切に大切に接してきたからこそ、その場面を見てちょっとした喪失感を感じてしまったし、悲しくなってしまった。しかしながら、自分のそうゆう気持ちがドンちゃんの育児を邪魔しているなってすぐに反省した。そしてそれは子どもの母子分離、延いては自立の阻害要因にもなるなと。

父親だって育児に参加したい人はたくさんいる。ドンちゃんもその一人で、子どもの色んな成長(それは子どもにとってももちろん親にとっても人生のうちたった1回しかないこと)を見逃したくないという強い思いがあること、それを私と一緒に経験したいことを知っている。自分が持つ最上なものを子どもに与えたいと願っている。父親だからというより、親だから。子どもの親だから。育てて自立させる責任があるから。
(個人的には参加したくなくとも強制参加なのが育児だと考える

育児界隈って新旧が混同していて、最新の教育情報が耳に入ってきたと思ったら化石かと疑ってしまうような呪いの言葉も良く聞く。「子どもはやっぱりママが好きだもん」とか「育児はママの方が上手よね」とか「一緒にいればいるほど愛情が伝わる」とか言った言葉は間違いなく呪いで、ドンちゃんを見ているとそんな言説は一刀両断にできることが明確に分かる。子どもに誠実に向き合う努力をすれば、一緒にいる時間の長さに関わらず子どもは必ず心を開いてくれる。そこに母親だからとか父親だからとかは存在しない。

家の中で子どもに後追いされながら(ほぼストーカー楽しそうに育児をするドンちゃんを見て、女性はもちろん、育児をしたい男性にとってだって、もっと生きやすい社会になればいいなと思う。

悲しくなった自分に反省をして、ドンちゃんの育児をサポートしていかなくちゃ。