My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2016/11/08

定住するとは



玄米と白米を混ぜて、みりんとお酒を少々、そこに細かく切って水にさらしたサツマイモをのっけて炊いた、サツマイモごはん。

韓国のテレビ番組とかで「田舎ごはん」というと、出てくるのがこのサツマイモごはんだったので、チャレンジしてみたわけです。ドンちゃんが懐かしむかなって思って。が、実物を目にしたドンちゃんが言い放った一言は「わー初めてみた!」だったから、がっくり。彼は栗ごはんはたくさん食べて知っているけれど、さつまいもごはんは知らないらしい。なんと!

本当に韓国人?とドンちゃんに聞く私でした。



最近、「定住する」ということについて考えています。

私たちは結婚してから、ドンちゃんの会社の社宅にずっと住んでいます。設備は古いけど、部屋は広いし、何より管理費がとても安く、我々にとって割と快適なのですが、でも社宅は所詮社宅、仮の住まい。自分の家ではないという気持ちがずっとあったんです。

とあることがきっかけで、そろそろ社宅を出てマイホームを買おうか、という話になったのが少し前。けれども、マンション?一戸建て?ヨス?スンチョン?と、話を詰めれば詰めるほど、なんだか自分の中に重いものがドーンとのしかかるような気持ちに。

たぶん、家を買うイコール「定住する」ということで、これはこの重みなのではないかな。だって、その土地に定住する、ってすごいことだと思う。だって、自分の人生をそこに築いていくんでしょう。そこで子育てをして、そこで死んでいくんでしょう。つまり、そこに根を下ろすこと、でしょう

そんな大切な場所を、人はいつ「ここに定住しよう」と決めるんだろう。どうゆう心の動きがあって決めるんだろう。決定要因はなんだろう。それとも、そこに定住するということは、主体的には決められないことなのかな。運命で、とか、生まれ育ったから、とか。縁のように出会うものなのかな。そして、受動的に受け入れることでしか、そこに根を掘り下げることはできないのかな。


それとも、どこに住むなんて、あまり重要なことではないのかな。でも私はどこかに根をおろして暮らすことに憧れるし、ずっとここで暮らしたいと思える土地に出会いたい。そこで暮らせるのかは別として。

ドンちゃんはずっとヨスにいるわけではなく、短く見積もったら後2年で本社があるソウルに転勤になるかもしれないし、もう少し経ったらインドに行くかもしれない。でも、ドンちゃんの勤務地がどこになるんだろうという不安と、私たちはどこに「定住するのだろう」という不安は全くの別物で、その不安がある次元も違う。

たぶん私は、「韓国で家を買って定住する」こと自体が怖いんだと思う。きっと、無意識の中には日本に戻りたい気持ちがあるんだと思う。もちろん、ドンちゃんがいるならどこだって良いって思っているし、どこだっていいと言っているけれど。その気持ちに嘘はない。でも、それは自分が思っている以上に脆い気持ちだったんだと、わかる

そういったことを考えた時に、社宅って居心地が良い場所だったんだなって思った。同時に腹を据える決定を先延ばしにする場所でもあったんだなと。モラトリアムの場所。

月曜日、朝一番に市場に行って、純豆腐を買いました。お豆腐屋さんは私のことを知っていてくれて、色んなおまけをしてくれた。




そのお豆腐屋さんの近くにお惣菜屋さんもあって、そこで明太子やチョッカルをよく買うんだけど、今回は沢ガニのヤンニョム漬けが美味しそうで、それをくださいって頼んだら、そこのおかみさんも私のことを知っていてくれた。「辛いけど、大丈夫?」「旦那さんと一緒に食べるの?旦那さん優しそうな人よね」って、声をかけてくれたことが、なんだか嬉しくて、同時に漠然と、定住するってこうゆうことなのかなとも思った。私はヨスに定住しているんだなとも。

定住するって人と人との繋がりの中で感じるものなのかな。

もう少し、柔軟に考えてもいいのかも。でも、こんな風に深刻に考えてしまうぐらい、自分にとって大事なことでもあるんだな。住む土地は自分の思想にも影響するから。

写真はお惣菜屋さんで買った沢ガニのヤンニョム漬け。前述したさつまいもごはんと一緒に食べました。




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