My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2016/03/18

わだかまり



その日は22時半の深夜バスに乗ることができたので、帰りはいつもより早めの深夜12時を過ぎ。ヨスのバス停ではすでにドンちゃんが待ってくれていて、手にはコンビニで買ったビールが入った袋をぶら下げていた。

私は授業前に小さなパンを急いでお腹に入れただけだったからお腹ペコペコ。聞けばドンちゃんもお腹空いているということで、帰り道に社宅前にある24時間営業のコム タンのお店へ。二人で牛の頭のお肉がたっぷり入ったスユックッパを頼んだ。白くてさっぱりしたサゴルのスープにご飯と素麺を入れてお肉と一緒に食べる。店内には夜中にも関わらずお客さんもまばらにいて、皆、CLのハイライトが流れているテレビに夢中。そういえばバルサの試合を久しく観ていないな、なんならスワレスが入団してから一度もフルで観てないよね、ということを二人で話しつつも、ご飯と汁をすくうスプーンの手は止まらず。お腹いっぱい。

社宅への帰り道、ドンちゃんと一緒に桜の木を見上げたら、蕾が随分大きくなっていることに気づいた。暗闇の中でもくっきりとわかる、ちゃんと枝の先で自己主張している。また春が来たんだねっという二人で春を迎えることができる喜びと、家に着いたらお風呂とビールが待っているという楽しみで、スキップしそうになったんだけど、でもすんでのところでできなかった。心に何かがひっかかっていたから。

その蟠り(わだかまりが何だかはすぐにわかった。その日の授業が始まる前に、仲良しの中国人の同級生が告白してくれた。故郷の重慶の大学での職が決まったから、急だけど再来週にはここを発たなければいけないと。彼女は中国語、韓国語、日本語を駆使する才女で、同じ時期に入学し、同じ指導教授のもとで一緒に学んできた所謂「同期」という存在。彼女と私と、韓国人の博士の先輩との三人で参加する授業では日中韓3ヶ国における漢字音の比較をずっとやってきて、そこで毎回彼女がサンプルとして中国語を発音してくれるんだけど、その音が本当に美しくて優雅で、私はうっとりしながら何度もリクエストして

卒業は近いけれど、まだもう少し彼女とは一緒にいれると思っていたので、その報告を聞いたときは彼女の就職したことへの嬉しさと、なかなか会えるのが難しくなくなってしまうという悲しさがはんぶっこ。私の蟠りはその悲しさだったわけだ

でも彼女に会えなくなる悲しさだけではこの蟠りは解けない。その先には、彼女が大学院の外に出たことによって、否が応でも卒業後の自分について、私はどう進んでいけばいいのか、ということに私が向き合わなければならないという現実があぶり出されたから。

卒業後の自分の未来を描いていくことはそんなに難しいことではないし、楽しいことでもある。入学前にある程度の考えと計画があったわけだから。が、今の私にとってはそこに大きな乗り越えなくてはいけない問題がある。

それは子供がいる人生か、子供がいない人生か

この話をブログで書くのかは迷ったんだけれども、自分の記録のために書いておこうと思う。私は、今現在、自分が子供が欲しいのか欲しくないのか、よくわからない。正直にいえば、いなくてもいいかもしれないと思う時が多い。それはもう色んな理由から。でも、完全に私は子供はいりません、とも言えない。欲しいなと、思う時もある。

親から愛情をたくさん貰って育った自分が、まさか欲しいか欲しくないかで悩むなんて思わなかった。欲しくない、いなくても別にいいと思う自分がなんだかすごく怖かった。私はは結婚したら自然に子供が欲しくなる人間なんだって思っていたから。欲しいか、欲しくないかで問答するスパイラルに自分が閉じ込められるなんて。これについては4年考えてきたけど、答えは出ない。出ない?いや、出していない。


結婚してから子供は「いつかは」と言って来た。そこに私は自分のグレーな部分を隠してきたんだと思う。答えは出ないのではなくて、先送りにしてきた。答えを出さなかっただけ。何か、私を動かしてくれる出来事に出会えばきっと決心できるって思っていた。友人の出産や、親の言葉や、何かのインタビュー。そうゆうのに触れていれば、自然に答えが出るのはと思っていた。つまり、他人に任せようとしていた。


でも、中国人の友人の進路から、自分の卒業後を考えなくてはいけなくなり、これからの具体的な計画を立てようとしている今、まさに今、私はこの問題について真っ向面から向き合わなくてはいけないってことに気づいた。30歳の私が、未来の私のために、ここでハッキリと決定すべきなのではと本能的に思った。これはある意味、自己防衛だと思う。だって、これ以上先送りにして宙ぶらりんのままにしといて、時間のリミットに決定権を握らせてしまえば、未来の私が苦しくなると思うから。どっちに行くとしても、さらに自分の行く方向に特別な理由をつけようとしてしまうんだと思う。特別な意味を求めようとすることは、大変で辛いことだって知っているから。

の問題に対して答えを出してこそ、卒業後の私の道を描くことができる。あくまでも計画だから、どう進むのかわからないし、答えに対してその反対の結果になるのかもしれないけど。でも少なくとも、今ある蟠りを解けることはできるかもしれない。そして解けたら、ドンちゃんと桜の下でスキップすることができる。


私はドンちゃんと満開の花の下でスキップしたい。




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