My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2017/06/03

違いから生まれる





すっかり夏模様のヨスです。日差しの中を歩くとじんわりと汗をかいてしまいます。

金曜日は、二次口頭試問で使う論文を提出しに大学院に行ってきたのですが、キャンパス内はどこもかしこも高校生ばっかり。どうやらオープンキャンパスだったよう。夏用の制服を着てむじゃきに騒ぐ彼ら彼女たちはとっても眩しかったな。自分の近くにある色んなことに、真剣に、怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜んだりできる時間をあの子たちは生きているんだなぁ、としみじみ感じました。

自分が高校生だった頃はそうだったから。今よりせっまい世界に生きていながら、その世界で起きることにいちいち敏感で、そして真剣だったな。何より、今よりずっと素直に泣いてたな。


さて、若者といえば!最近韓国では「サッカー U-20ワールドカップ」が開催中なので、若い代表選手たちに注目が集まっています。(って、この前負けてたけど)

その中でも注目株が、イ・スンウとペク・スンホの二人の選手。彼らは幼い時バルセロナというスペインの強豪チームにスカウトされ、現在バルセロナのBチームで活躍しているのです。(これはアジア出身の選手としては相当すごいこと)


で、この二人はかなりの愛国者なんですね。


このことについてはドンちゃんが「びっくりして」教えてくれました(なのでソースはドンちゃん)

彼がなぜびっくりしたかといえば、所属チームが二人を徴兵に行かなくて済むように、なおかつ韓国代表には所属できるように便宜を図るように働きかけようとしたところ、(どうゆう方法なのか知らないけれど、軍隊を逃れて代表なんて韓国国民に受け入れられないとは思うが)それを二人はきっぱりと拒否したから。さらに、その他、インタビューを読んでいても国に対する忠誠心や誇りが高いことを見受けられるから。(ドンちゃん主観)

ドンちゃん的には幼いころから海外にいて韓国をずっと離れているにも関わらず、なんでそんなに韓国のに固執するのか?と。選手キャリアを考えた時に徴兵は正直引退にも関わる大きな足かせになるのに、なぜそれを回避しないのか?と。


ドンちゃんがびっくりする気持ちは分かるけれど、私は二人が愛国者であることに全然驚かなかったし、そうであろうなと思ったのです。


というのも愛国主義にある自己感覚をアイデンティティとしたとき、そもそもアイデンティティというのは「私と他者は違う」と感じる人間間の相互作用の中から生まれるものだと、学んだからです。


だから、若いころから海外で暮らしていても、だからこそ愛国心が生じることもあると言えるんじゃ。


彼らは幼いころから、世界中の天才たちが集まるバルセロナの下部組織で競争しながら生きてきたんだから、嫌でも自分がアジアの中の韓国人であること強烈に意識せざる負えない環境だったんだと容易に想像できます。私の勝手な推測だけど、アジア人であることで嫌な目にもあったんじゃないかなとも思う。そういった経験もかなり影響されているのではと。相当苦労もしたんだろうな。。。


私自身もそうです。彼らみたいに多感な時期に海外で暮らしたわけではないけれど、日本を出て韓国に住んで自分が思っていた以上に自分を日本人と意識するようになったし、正直、愛国主義的な考えもするようになりました。でもその分、他の国の人たちが母国を誇りに思ったり、母国を愛しく思う気持ちを理解できるようになったし、愛国者に対するアレルギーもなくなりました。もちろん批判的思考が欠落した、自分の国から一歩も出たこともない愛国者は嫌いだけど。


だから二人が愛国者だということを聞いても、二人の事を応援し続けたい気持ちは変わりません。高校生のころから家族でバルサファンとしては、代表でというよりは、バルセロナで活躍する姿を見たいです。


アイデンティティといえば、ナショナルアイデンティティを二つ同時に持つとはどうゆう感覚なのかが最近一番気になります。例えば、ハーフだけど、ハーフのアイデンティティではなく、日本人としてのそれと、アメリカ人としてのそれを同時に二つ持つ、といった感じ。。。思えば留学時代に周りにそういった友人たちがいたけれど、そこまでは聞かなかったし話さなかったな。。。でもそれぐらい自然だったような。。。?


ちなみに写真は本題と全く関係なく、随分前に机の前の壁に貼ったメモ。ブログを書こうと思ったら目につき、離れませんでした。


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3 件のコメント:

  1. 詩菜ちゃん〜!今回のテーマと写真のメモ(キムチュイ)は私へのラブレターかしら?爆

    その後体調はどう?私はといえば、些細な色々があって、揺れたり迷ったり元気になったりな日々を過ごしているよ。特に彼とは、お互いの心を率直にさらけ出せる関係を作りながらも、だからこそ、異なる人間同士の差異に直面するたびになかなかスムーズには行かず(主に彼が…笑)、3歩進んで2歩下がる日々。だから・・・「苦しみに意味がある」という言葉は胸に響いたよ。それからビッグニュースとしては、10日くらい前に弟のところに赤ちゃんが生まれて、ついに伯母になったこと。ふふふ。

    イ・スンウとペク・スンホの二人の例はすごく示唆的だね。海外育ちだからこそ、自分は十分には母国の一員になれていないという意識が強かったのかもしれないし、だからこそ、韓国社会の「真性の」成員として社会から認められるために象徴的な徴兵という儀式を経ることにこだわったのかもしれないな、と詩菜ちゃんのブログを読んでて感じた。・・・って韓国社会に詳しくない私が偉そうに推論するのも変な話なんだけど。

    海外にいるからこそ愛国心が生じることがある、すごくわかる。私は詩菜ちゃんの仮説に賛成。ハーフのナショナルアイデンティティについては、ハーフのアイデンティティ、日本人としてのそれ、アメリカ人としてのそれ、の3つを同時に複層的に持つんじゃないかというのが私の考え。でもその3つはきっぱり分かれているものではなくて、それぞれの境界線は曖昧に重なり合ってる。そしてその3つは、状況ごとに、その時々に関わっている人との関係性に応じてどれか1つが強く感じられたり、どれか1つが弱まったり、くるくる変動的なものなのではないかなと思う。それから育った環境によっても、どのアイデンティティが強くなるかは変わってくる気がする。例えば日本人とアメリカ人の両方の文化や言語を両親から授かってきた場合には、両方のアイデンティティを同程度に持つかもしれない。でも、アメリカで育った日米ハーフと日本で育った日米ハーフ、第三国で育った日米ハーフ、それぞれ違うアイデンティティの発露の仕方なんじゃないかと思う。そして、どの場合でも、詩菜ちゃんが言うように、「私は他者と違う」と感じる人間間の相互作用の中からアイデンティティの位相が決まってくるのではないかな。

    あまりいい例じゃないかもしれないけど、数日前にケベック州政府が発表した文書のタイトルが、「ケベック人であることが、カナダ人であることの我々なりの方法」というタイトルだったの。このタイトルには、複数のアイデンティティのあり方の一例が凝縮されてる気がする。彼らにとっては、ケベック人であることはカナダ人であるというアイデンティティの一部だから、ケベック人だってことを否定されて「カナダの国民なんだからケベック人じゃなくてカナダ人でしょ」って言われても、それは受け入れられない。ケベック人であるというアイデンティティが自他共に認められているという条件下において初めて、ケベック人はカナダ人としてのアイデンティティを心地よく抱くことができる。そういう複数のアイデンティティの位相というのは、ハーフのナショナルアイデンティティにも部分的に通じるものがある気がしたよ。

    ちなみに余談だけど、私は今の職場がアレなので、「体制側」というのを感じることが多い日々笑。だから、海外にいるというより、むしろ日本の中枢にいる気分で、今までと真逆の視点から世界を見るから勉強にはなるけれど、反面戸惑うことも多い。なので海外にいながら、自分の日本人アイデンティティに嫌悪感を抱くという、ちょっと今までとは違う体験をしてる笑

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    1. あいちゃん〜!元気?体調は最近は食欲もあって元気!心配してくれてありがとう〜!最近はG7サミットのニュースを見ながらあいちゃんに思いを馳せてた。来年はカナダのマルベイってとこなんだね。マルベイってフランス語なのかな?ケベックやモントリオールに近い小さな都市?みたいだね。来年はもっと忙しくなりそうだね><ふふふ、メモ気づいた?随分前にあいちゃんからキムチュイさんの本のことを聞いた時つけたメモだよ。「苦しみに意味がある」というのはその悩みを解決しようとするのではなく、なぜそもそも自分はそれに悩み苦しいのかを考えなくてはいけない、という話だったの。だから、あいちゃんの「お互いの心を率直にさらけ出せる関係を作りながらも、だからこそ」と、いうのを読んで、まさにあいちゃんが苦しさの真髄を見ているのだなと思い、二人の関係の深さとあいちゃんの彼に対しての真摯な気持ちを感じた。3歩進んで2歩下がる、でも1歩づつ進んでいるんだよね。大丈夫だよ。自分たちの起こっていることの表面しかみていないカップルもいる一方で、あいちゃんたちは差異に直面するたびにスムーズにいかない、その原因を知っているんだから。近くにいても心を率直にさらけ出すことができる関係を作り上げることは簡単じゃないなのに、それを遠く離れていてもできているのだから、毎日気持ちが色んな形をしたとしても、二人の関係に自信を持って生きれば大丈夫だと、(傍観者の)私は思う!
      そして、素敵なニュースをありがとう!弟さんに第一子誕生したのね〜〜〜!おめでとう!しかも今年だなんて!本当に嬉しい!実の弟の赤ちゃんだなんて、絶対にかわいいだろうなぁ。。。いいなぁ!お父さんも喜んでいるでしょ?日本に帰って抱っこできる日が楽しみだね!赤ちゃんにとってもあいちゃんは自慢の伯母さんになるんだろうなぁ。

      ハーフのアイデンティティの問題は実はあいちゃんに聞きたかったし、助言を仰ぎたかったの!だから私こそ示唆的なコメントをくれてありがとうだよ!

      ・複層的で境界線は曖昧に重なり合っている
      ・くるくる変動的

      っというあいちゃんのポイントに深く納得できた。私の場合を考えてみても、先生の前では生徒だし、生徒の前では先生だし、親の前では娘だし、ドンちゃんの前では妻だし、人と人ととの相互作用の中からうまれるということは、目の前に誰がいるかという文脈に依存し、相手や環境が変わるとその都度入れ替わる、でも、完全に入れ替わるのではなく、あいちゃんの言う通り、曖昧に重なり合っているよなと実感した。娘であるし妻でもあるのが自分だし、同時に女であるし、学生でもあるし。その感じ方が強まったり弱まったり、というのは人との関係性によって、どんどんと変わっていくよなぁと。そしてハーフの場合は本当にどこで育つかどこの国で受けるかでも随分と違うよね。第三国の場合はその国のナショナルアイデンティティが加わるだろうし、両親がハーフの場合はまた違ってくるんだろうなぁ。

      今回あいちゃんからのコメントで、境界線が曖昧、変動的っていうのが目から鱗で、新たな発見だった。そして、話は前後するんだけど、徴兵制を「韓国の真性の成員として認められる象徴的な儀式」と言い表す、あいちゃんの洞察力と表現力に感銘を受けた。さすがあいちゃん。その他もろもろ、スカイプでまたお話ししたいね!時間あるとき、またたっぷり話そうね!!私はいつでもオッケーだよ!

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    2. あまりいい例から、のお返事が書けてなかった!

      ケベック人であることがカナダ人であること、の意味を論理的には分かっても、なかなか感覚的に理解するのは難しいなって思った。それは理解できないという意味ではなくて、どんな感覚なのかなかなか想像できないという意味でさ。。。でもあいちゃんの言う通り、複層的で大きく重なり合っていて、なおかつ、より意識的かよりコア的?かという、複雑なアイデンティティの位相をケベックの人たちは持っているんだね。ケベック人だから、カナダ人ではない!という単純なものではないんだなぁ。でもアイデンティティというのは色々なあり方があると、国が認めていることがカナダらしくていいね。カナダが持つ歴史や環境がそうさせているのだとしても。

      あいちゃんの今いる環境って特殊だよね、この前話を聞いて思った!霞ヶ関の縮図って表現が記憶に残っている!だから、日本人アイデンティティに嫌悪感を抱くのはよくわかる気がする。で、そこもあいちゃんらしい感性というか、そうゆう風に感じるあいちゃんが私は好き!

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