韓国では8月15日を光復節、光が復活した日と呼びます。
植民地支配から解放された日です。
私は韓国にも留学したし、韓国語も話せる。韓国人の友人もいる。
そして、人生を一緒に作り上げていく愛する夫も、韓国人。
だけど、無条件で韓国が好きかと言われれば、NOと答える。
好きだ、でも好きで居続ける努力を、私はしている。
しんどい時もあるけれど、嫌いになったら、だめだと常に言い聞かせている。
それは夫のためでもなく、韓国人として育つだろう自分の子供のためでもなく、
自分のため。
韓国人の目で韓国の社会を見てみたい。
所詮私にとっては「他国」という、その境界線を越えていきたい。
それとも、自分の心はそれができないほど日本の固い皮膜に包まれているのだろうか。
そんな葛藤の日々だけど、15日を韓国人の立場で見てみると、
どれだけ尊い記念日なのかが、私でもわかる。
ベランダに国旗を飾る気持ちも、
テレビの特番で万歳をする気持ちも、すべて理解できる。
ある日突然の植民地支配、暗くて怖い日々から解放された日が、
どうして重要じゃないと言えるかな。
そしてこの国を支配していた国はまぎれもなく、私の母国、日本。
だから8月15日を韓国で過ごすのは辛い。
日々の葛藤とは別の、すごく複雑な気持ちになるから。
けれど、そんな気持ちとは別に、この日は普通の日常だった。
先生のアトリエに行って、陶芸に励んで、他愛もないおしゃべりをして。
先生のお友達が持ってきてくれた葡萄をつまんで。
祝日で休みの彼と外出もして、一緒に家事をして。
朝鮮半島と日本の歴史は、仏教や文化を通した穏やかな交流だけじゃなく、
悲しく暗い歴史がある。
私は、自分の気持ちを大切にしながら、日々の自分の中で葛藤しながら、
日韓の筆舌に尽くしがたい苦難の歴史の上に、
私のこの日の日常があることを忘れてはいけないな、と思い続けたい。
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