ドンちゃんの手を握るたび、幼い頃、父の手をぎゅっと握る時に感じたあの安心感を思い出す。彼の手から感じるものと父の手から感じたものは全く同じ。そのぬくもりと温かさも。
何かにおいて、言葉や行動で表現してくれるドンちゃん。誕生日や記念日ではなくても、お花と一緒に色々な言葉を贈ってくれます。「僕はマイベイビーと結婚できて本当に幸せだよ」「マイベイビーが僕の妻であることが僕を幸福感で満たしてくれる」などと、ロマンチックな(ちょっとキザでくさい?)ことをさらっと言う彼。
ドンちゃんに対し、特にありがたいなと思うことの一つは、私に何も要求せずに、私のそのままを受け入れてくれること。たとえば、とある人に「顔のホクロを取った方がもっと美しくなる」と言われたとドンちゃんに報告した時、ドンちゃんがその人に対し「マイベイビーにそんなことを言うなんて!マイベイビーはそのままが一番美しいんだ!」と烈火のごとく怒りを露わにしたり、吹き出物がボツっとできたり、体重が増えたりした時、「気にしなくていいんだよ、今が一番きれいだから」という言葉をかけてくれたり。
そんなドンちゃんの愛は、お父さんが私にくれる愛とそっくりだと気づきました。私を無条件で愛してくれて、常に私の味方でいてくれるお父さん。もちろんお母さんもそうだけど。だけど、私は小さい頃からパパ大好きなお父さんっこだったからなのか、ドンちゃんからの底なしの愛を感じるたびに、小さい頃の自分に戻る時があります。父の隣にいる私に。
例えば、二人でソファーに座ってテレビを見ている時。ソファーに座るときはいつもドンちゃんのたくましい腕に全力で巻きつく、もしくはドンちゃんの首に腕を回して全力で抱きついているのだけど、ふと、同じことを小さい頃にお父さんにもやっていたな、と思い出すのです。記憶だけではない。その記憶の中にある、大人になった今でもずっとずっと覚えていた、お父さんの温かさや、その時感じた安らぎも一緒に。
寝る時もそう。ドンちゃんの大きくて温かい手を握って眠りにつく時、小さい頃にお父さんの隣で手をぎゅっと握って抱きついてた自分と今、彼の手を握っている自分との境界線が自然に消えていきます。
寝る時もそう。ドンちゃんの大きくて温かい手を握って眠りにつく時、小さい頃にお父さんの隣で手をぎゅっと握って抱きついてた自分と今、彼の手を握っている自分との境界線が自然に消えていきます。
ドンちゃんの横にいる時に感じる気持ちは、幼い小さい頃にお父さんの横で感じたあの安心感、疑いなんて一滴もない全力で自分の全てを寄せることができる存在がいるという幸福感と、不思議なことに全く一緒。同じように温かく豊かなもの。
不思議だなと思いながらも、それを通して自分なりに悟ったことがあります。それは、親子の愛も夫婦の愛も大きく変わるものではないのだなということ。この二つに共通するもっとも大切なことは、条件なしで相手の全てを受け入れ、疑いが一切ない信頼がその関係性の根底にあることなんだな、と感じました。そしてそれこそが、家族の愛なんだなって。父や母からそれを受け取って、ドンちゃんと愛し愛し合っていく中でそれを確認していく。そしてそれを私たちの後の世代に伝えていく。
人生は「再び」の繰り返しで、その中心に家族愛があるのだな。
さて、6月になりました。父の日に何を贈ろうかなと、ファザコン気味の娘はルンルンな気分になる月です。先月の母の日はドンちゃんと一緒に美味しいと評判の限定ビールをひと箱まるごと贈ったな。
父の日ギフトを選びながら、今月もドンちゃんと楽しくのんびり過ごしていきたい。
父の日ギフトを選びながら、今月もドンちゃんと楽しくのんびり過ごしていきたい。
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