小学生だった頃、大好きだったんです、ミラクルガールズ。アニメも漫画も。そういえば、一つ下の従姉妹と一緒に、ミラクルガールズごっこを良くしていた。私がともみで、従姉妹がみかげ。勝手に事件を作って、テレパシーとかテレポートとかする真似をしながら、その事件を解決してた気がする。今思えば、真剣に妄想をしながら、情熱を持って遊んでいた。あの頃の私は断然ともみが好きだったけど、今はみかげに惹かれます。みかげの方が人間くさいから。久しぶりにミラクルガールズごっこしようかな、ドンちゃんにみかげ役を頼んで。
髪を切った次の日、ドンちゃんと美術館デート。フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ展がやっていたから(作品はメキシコのドローレスオルメド美術館から)ハンガラムデザイン美術館です。
フリーダもその夫であるディエゴも世界的に有名だし、特にフリーダはなんとなく日本とも関連があるので(イサムノグチと不倫していたし、大江健三郎もフリーダの人生について何かで書いていたし)知っている日本人も多いのでは。どちらもメキシコを代表する画家で、特にフリーダはその壮絶な人生と比類ない才能のために映画にもなっています。色んな分野の芸術家にインスピレーションを与えている画家の一人。
ちょうど春にバルガス・リョサの密林の語り部を読んでいたし、フリーダの絵はNYかメキシコに行かなくては見れないと思っていたので、朝一番ドンちゃんと行ってきたのです。これを逃したら絶対に後悔するし、実物を見れるのならば、それは一生私の記憶に残ると思ったから。
最初にディエゴの絵が年代別に飾られていて、しかもキュビズム時代からあったので、彼がヨーロッパの文化を学びながらメキシコの文化やインディオたちに回帰していく過程で、彼の絵がどのように変わっていたのかがよく分かり良かった。
がやはり、この展示のメインはフリーダ。フリーダの展示ゾーンは、壁は全て黒でライトはその絵にだけ当たるという展示方法。ハイライトである「折れた背骨」は、他の絵とは異なる少し奥まったところに静かに飾られていて、フリーダが絵を通して彼女の何を表層化しようとしているのかが、よく分かった。分かって、辛かったけど。
実物の絵は、写真や画面で見ていたものと全然違いました。大胆で力強いものだと思っていたからびっくりした。実物は、繊細で、丁寧で、優しさが溢れてました。悲しみはその後にしみじみと波のように伝わってくるのだけど。
だから本当にびっくりした。あんなに悲惨な経験をした人が、こんな繊細で優しい絵を書くことができるだなんてって。同じよう経験をもし日本人がして、それを絵に描くならば、もっち違うものになっていると思う。悲壮感が漂い、ドロっとしたものに。
それを感じさせないのは、やはり彼女がメキシコ人だからではないのかな、と思ったのです。日本とは違うその死生観や、何より制圧された辛い歴史を陽気なマインドで乗り越えてきた民族だということが根底にあるのかな、と。
心の中を視覚化することがどうゆうことなのか、それができるということは奇跡に近いということ、また、インディオとスペイン両視点からメキシコを考える必要があるということ、などが分かったフリーダとディエゴ展でした。行ってよかった、本当に感動した。
ちなみに日曜日に行ったのに、人はガラガラでした。モネの時は多かったのに。韓国ではあまり人気がないようです。でもそのおかげで、ドンちゃんとゆっくりと見ることができました。一つの絵をじっくりみながら、絵に描かれているこのモチーフは何を表しているのか、など自分の意見を言ったり彼の意見を聞いたりできて良かったです。ドンちゃんとの意見交換の時間はとても楽しい。
写真は買ってきたポストカード。フリーダのビロードの服を着た自画像と折れた背骨は、寝室に飾ろうと思っています。ディエゴはインディオの女性の絵を選びました。この女性の周りがほのかに黄色く描かれていて、女性から光が放たれているように見えるのです。ディエゴがいかにインディオの人々を尊敬していたことがわかる一枚です。
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