最近は息子と過ごす毎日が楽しい。毎日が休日の朝という感じでのんびりしてて、パジャマを着させたままお部屋遊びをする午前中は、特に冬休みっぽくて好き。大変だけど、今はそれ以上に可愛さと何より面白さが勝っている。
最初からそうかと言われれば、そうではなかった。辛さが可愛さに勝った瞬間ももちろんあったけど(今もたまにあるよ)息子の自我が芽生え始めた夏頃8ヶ月頃から、グンと楽になり始めた感覚がある。それは、息子が自分の意思をはっきりと示すようになり始めて、「おや、これは?」と観察することが面白くなってきたからだと思う。
でもしかし。それと同時に始まった後追いは割としんどかったな。終わったのは11ヶ月になったぐらい。母は自分ではないことが分かったが故の母子分離によるストレスと不安感は息子にとって大きかったはず。家事を放棄し、息子が振り向くたびに私がいるように片時もそばを離れず、ひたすら息子を受け止めてきた2ヶ月だった。いや、丸1年息子を置いて家事なんてしたことなんてなく、ひたすらそばにいたんだった。
後追いが終わると同時に今度は彼の中に、秩序が芽生えてきて内面の成長が著しくなってきた。我々が物理の授業で最初で習うような法則を、小さな経験を通して体得していく彼の様子は、見ていてとっても面白い。毎日繰り返しながら新しい真理を掴んでいく姿は、正直羨ましくもあるぐらい。
本当のところ、彼が何を考え何を思っているのか私が知る由もないのだけど、でも毎日観察しながら、今彼の頭の中ではこんなことが起こっているのではないか?と想像を巡らす毎日。それはとても面白く、今の私にとって育児する上で一つの醍醐味になっている。
そんな息子と遊ぶことも楽しい。楽しくて「わたし、ヨスで友達できたー!」って思いながら本気で笑っている自分がいる。フィリパ・ピアスの「わたしたちはみな自分の中に子どもを持っている」という言葉を思い出した。私の中にいる幼い私が息子と遊ぶから些細で単純な遊びでもすごく楽しい。幼い私が楽しむことは大人の私にとっても必要だし、ずっとそうしたかった気もする。
毎日そんな感じで、色んなこと考えながら息子と一緒に過ごしている。親としての最後で最大の試練「自立していく子どもを黙って見守ること」に備えたい。そんな日が来るなんて嘘のようだし、逆に目を閉じ開いた瞬間に来ていそうで怖いし、傷つくけれど。息子と過ごす一瞬一瞬を楽しむ事だけが、その怖さから救ってくれる気がする。
もっともっと楽しもう。育児の中に面白さをもっと発見していこう。そしてそれをここで共有していこう、と新米母として思うのです。
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