母の言葉は論理的ではないし、科学的な根拠にも欠ける。でも、なぜか「ああ、そうか」と思えるから不思議。例えば、
「忙しくて週一でしか掃除ができていない」と言えば、「掃除しなくたって人は死なないから大丈夫だよ」
「韓国で子育てって大変そう」と言えば、「国なんて関係なくどこで育てようが、親がしっかりしていれば問題ないよ」
「ドンちゃんって腕にホクロが多いの」と言えば、「触ったら、大きくなるよ」
「痔になった」と言えば、「長い人生の中でほんの一瞬の痛みだよ」
などなど。どれも言葉としてはなんとなく説得力が欠けるんだけど、母が言うとそれこそが真理であるように思える。
記憶の中に鮮明に残っている母の言葉がある。それは、ドンちゃんから告白されて、それにどう答えようか悩んでいた時。交換留学が終わったら遠距離になるということはもちろん、外国人である彼とうまく付き合っていけるのかなという不安が少しだけあった(彼のことはもちろん好きだったけど)
「どこの国の人でも自分のことを大切に思ってくれる人がいるって、とても幸せなことだと思うよ」
という母のこの言葉は、私の不安に対する具体的な解決策を提示するものではなかったけれど、でもとっても感動した。この言葉を聞いて、人を好きになる気持ちの普遍性に気づき、彼を好きな気持ちを大切にしていけば、色んな壁を越えていけるかもと思うことができた。
思えば、私は母のこうゆう言葉を望んでいるのかもしれない。何かの根拠に基づいた論理的で的確なアドバイスではなく、母自身から生み出される母らしい言葉を。だって、人は必ずしも、具体的で論理的な言葉を望んでいるのではないもの。時には感覚的な言葉が欲しいもの。じゃないと、人生を歩くのに息が詰まりそうになる。
母の偉大さ(?)を感じながら、前向きになった夜。何かあれば、なくても、またお母さんに電話しなくちゃ。
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