My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2016/03/29

春のナムルを堪能


週末は少し寒かったけれど、下にヒートテックを忍ばせつつ春のコートを羽織り、「春がきたら光州に麦ごはんのビビンバを食べに行きたい」という願いを叶えに、久しぶりにドンちゃんと一緒に光州に行ってきた。

突然だけど、ドンママもドンパパも光州生まれ、光州育ち。後にドンママ一族は教育のためにソウルに移り住み、ドンパパも大学からはソウルへ行くことになるけれど(そう、二人はソウルで巡り会う、私たちと一緒、はあと)、結婚した後はドンパパのお仕事の都合で再び光州へ。ドンちゃんの大学進学と同時に認知症のドンママの実母であるおばあちゃんと同居するため、またソウルに戻ることになったけれど、二人のアイデンティティーは光州人であり、光州は大切な心のふるさと。

光州が位置する全羅南道は地形的にお米に野菜にもお魚に昔から恵まれた結果、豊かな食文化が発展していった地域。ゆえに人々は元来グルメだし、料理上手な人が多いと言われている。かくゆうドンパパもドンママも「光州の美味しいお店は全て制覇した」と言うぐらいグルメ通(光州限定)であり、そんなふたりがオススメする光州の美味しいものというのが「春に食べる麦ごはんのビビンバ」なのである。春のナムルをふんだんに使ったビビンバは絶品。

麦ごはんのビビンバ、私たちは二年ぶり。二年前は母と一緒に三人で食べにいった。その時にドンママから光州のオススメグルメは?ということで麦ごはんを聞いたんだった。




今回もムドゥン山(無等山←漢字を見て思ったけれど、いかにも光州っぽい名前、政治思想的にの麦ごはん通りへ。今回は온천보리밥집というお店へ。ちょっと奥まったところ。




この辺の小さな麦ごはん屋さんはどこも民家(自宅の一部を使っているらしく、素朴でこじんまりとしている。長身のドンちゃんが入るとさらにお店が小さく見える。ドンちゃん曰く、おばあちゃんのお家に遊びに来た感覚だとか。




中に入ってみても、やはり自宅の一部という感じ。お店のおばちゃんが一息ついたのか、リラックスした姿勢でテレビを見ていた。こうゆうのすごく好き。福島のおばあちゃん家に遊びに行った時も、「まずはごはん食べ」といろんなものを用意してくれたなーって思い出した。バーバは食べないの?と聞くと、決まって「オラはさっき食べたんだ」って言ってたな。

ちなみにお店にメニュー表はない。というのも麦ごはんオンリーだから。席に着いて、やかんに入った温かい麦茶をコップに注いで飲んでいれば、すぐに運ばれてくる。




どーんと運ばれてきた新鮮なナムル、真ん中には辛くない優しくて少し甘いテンジャングッ(韓国のお味噌汁)、そしてビビンバ用の器に盛られたホカホカの麦ごはん。




驚いたのは、巻き野菜として出てきたこの大きな葉っぱ。なんという種類の葉っぱなのかな?味は苦味もなく青臭さもなく美味しかったんだけど、サンチュとも違う気がするし。これにビビンバとチョッカル(塩辛)を乗せて巻いて食べると清々しい春の味がする




ナムルは全て11種類、そのうち春ナムルは7種類。味付けは塩とごま油だけではなく、味噌だったり、お酢とお砂糖だったり、と色々だった。共通点は素朴さというべきか、決して洗練されてはいないんだけど、身近なものを簡単においしく食べるという慎ましさにある気がする。




そのナムルをホカホカの麦ごはんに自分の好きなように乗せ、少しだけコチュジャンをプラスし、瓶に入ったごま油をたらり。あとはお箸で混ぜて食べるだけ。素材の味をどのように生かすかではなく、いかにご飯を美味しく食べることができるのかが、ビビンバのポイントでもあるのかな、ナムルは素朴な味付けでありながら、ご飯にもぴったりと合うから不思議。これこそ韓国料理。美味しかった。

その後は市内まででてショッピング。ドンちゃんはユニクロでジョガーパンツというものを購入。足が長いから似合っていた、が、パンツと一緒に試着したルメールのコラボセーターは頭が大きく見えてしまったため却下(爆、悲惨)私はランニングウエアをアディダスで物色。





夕飯も光州で済ませようということで、全南大後門にある私のお気に入りの日本食のお店へ。二人で生ビールを飲みながら海老カツ丼を食べるという。


振り返ってみると、麦ごはんといい、丼といい、炭水化物をたくさん摂取した日だった。次の日、反省の念に駆られ、ランニングでエネルギーを発散させたのは言うまでもない。


近々、もっと暖かくなったらまた麦ごはんのビビンバを食べに行きたいな。



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2016/03/25

儒教とお祖父さん




私は韓国の儒教文化が個人的には好きではない。

とか言いつつ、実際のところ儒教の原理原則すらよく分かっていないのだけれども、父系血統システム、忠や孝、何より年齢による序列というものを現実社会でみると心がざわざわするし、アレルギー反応が出る。特に日本以上に目上の人を敬うという「慣習」が好きではない。人が人を尊敬するのに年齢なんて関係ない、いくら自分よりも年が上でも尊敬できない人はいるし、逆に年下でも尊敬できる人はたくさんいる。

なので、ドンちゃんの父方の親族たち(光州の教育界を牛耳る既得権益集団=光州のドン家)が絵に描いたような儒教一族というのをドンちゃんから聞いたときには、正直会うのが憂鬱だった。一族の長であるドン爺の機嫌を見ながら食事とかをするのかなーとか、そんなことを考えていた。

実際に会ってみると、私が考えていた儒教が良い意味で裏切られた。

その日はブログではここでちょろっと書いいた)ドン爺の90歳の誕生日and私のお披露目会で一族大集合。ドン爺はスーツを着込み、テーブルの真ん中に座り、私をフルネームで、日本のどこ出身なのか、卒業した大学と大学院の名前、どこの学部なのか、交換留学はいつどこの大学に行ってきたのか、父親と母親のこと、兄弟のことなどなど、を全て何も見ずに一族に高らかに説明して私を紹介してくれた。ドン爺には会うのはこの日が初めてで、もちろん私の学歴とかについて話したことはなかったので正直びっくり。後になってドンパパから予め聞いていたということを知ったけれど。

でもその時に、ドン爺から、私を一族に紹介しなくてはいけないという長としての自分の使命一族の責任を全て背負って私を受け入れるという姿勢をものすごく感じて、自然にドン爺への尊敬の念が生まれた。

その日にドン爺はとある本を一族に配っていた。その本とはドン爺が新聞や雑誌、論文から「家族と共有したい記事」を自身でスクラップし編集し製本したもの。タウンページみたいに分厚く、内容は目の疲れを取る方法や肩こりを解すストレッチ方法といった健康情報から漢字の成り立ち方といったちょっとした教養のものまで多岐にわたるものだった。私はこの本からドン爺の自分が良いと思った情報は必ず家族とも共有しなくてはいけないという、長としての気宇というものを感じることができた

この日の別れ際には私のほっぺを撫でながら、日本語で「Shiina ほがらかに生きない」と言ってくれたドン爺。この日から私はドン爺のことが大好きになったし、尊敬するようになった。そして、儒教ってこうゆうものなんだと実感した。つまり、そこ(儒教文化)では年齢が上の人が負わなければいけないものがとても大きく、それをしっかりと背負って初めて序列というものがあるんだなということ。

最近もドン爺と電話をする機会があった。旧正月に日本の実家に帰ったことを褒めてくれ、私の両親への気遣いをしてくれた。さらに、大学院がそろそろ卒業時期ということも把握していて(ゲッ)卒業したら光州ドン家一族ファンド(爆からお金が出るということを教えてくれた。私が勉強していることを一族の光栄と捉えていてくれるから嬉しい。

最後にドンちゃんに「先進国から韓国にやってきて本当に大変だと思うから、ちゃんとしっかりと支えてあげなさい」と声をかけてくれたみたい。それは垢がついたありがちな言葉なのかもしれないけど、私はこの言葉に重みを感じる。日本のことを先進国と言い、国という視点で「日本よりも韓国の方が暮らしにくい」と率直に言える人はそうそういない(その意見が正しいのか正しくないのは置いて)皆、日本は先進国だよね、でも「韓国もいいでしょう」という部分が必ずある。特にドン爺の世代は。もちろんそれが当たり前だしそれでいいと思うけど、それを越えていくドン爺はやはりすごいと思う。

一族の長としての責任を全うするドン爺。例えは悪いけど、もし私が韓国で犯罪者になったら、ドン爺はその責任をすべて自分に求め、省みようとするのだと思う。(私はこれまでもこれからも善良な市民よ。)本来の儒教って年を取ればとるほど、家族内で上になればなるほど、大変なものなんだな。

修士号と卒業証書をもらったら、ドン爺に会いに行かなくちゃ。いつになることやら。せめて、今年中に。。。


写真は全然関係ないけど、今日網で焼いたトースト。なかなか良い焼きあと。碁盤の目、長安みたい。




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2016/03/22

覚えておこう



桜の蕾を見ることが毎日の楽しみの一つ。毎日少しずつ遂げていく変化に心が弾む。

昨日は遠くから見たら、蕾の色がピンク色になっていた。近づいてみると、蕾の上の部分から花びらが覗いている状態だった。これを見た瞬間に、蕾は「開く」のではなく、「割れる」んだということに気づいた。それは卵から産まれるヒヨコみたいだなって思った。卵が蕾で、花がヒヨコ。ヒヨコが卵の内側を自力で突いて産まれていくように、花も咲こうという力で蕾を破ってこの世界に顔を出すんだな。それは限りある生命の誕生の象徴でもあるから、人は満開に咲く桜を見ながらどこかで尊さとか儚さを感じるのかもしれない。

昨日こんな風に感じたことはしっかりと覚えていこうと思う、次の春まで。その時にまたこのことを思い出して、私はどう感じるのかを確かめよう。ちなみに花は25日に咲くといいな。私にとって大事な日だから




覚えておきたいことはまだ少しあって。ドンちゃんと時々行く市場の周辺で出会ったトマトだけを売っていたおばあちゃん。話してみると、ヨチョン駅の近くの畑でトマトのハウス栽培をしていて、もぎたてのを売っているとのこと。大きいトマトと小さいトマトがあって、どっちもパンッて力があって美味しそうだったので、まずはと、小さいのを買ってみた。その夜に切って食べてみたら、ものすごく美味しくてびっくり。ちゃんとトマトの味がした。みずみずしさと真夏の太陽の味。おばあちゃんにたっぷりおまけもしてもらったから、トマトソースでも作ろうかなとか思っていたのだけれども、なんかもったいない。全部生で塩で食べたくなった。

このおばあちゃんのことも覚えておかなくちゃ。あの市場に続く道の少し上がったところ。





そこの市場の近くのお店では落花生が売られていたので、升いっぱいに買ってきた。殻をちまちま割って、フライパンで炒って、砕いて作ったのはピーナッツバター。オイル類を一切使わずに、ピーナッツから出る油だけでねっとりな仕上がりになった。





これで、菜の花の和え物を作るんだ。ただ、お砂糖は少なめにしたけれど、もう少し入れてみても良かったかもしれない。蜂蜜やバターも入れたらもっと口当たりが滑らかになるのかな。これも覚えておかないと。次回に生かそう。


そういえば、今日の海はいつもとは違った色をしていた。春の光を浴びて、ブルーに磨きがかかっていた。春の海の色とそれを見たときの私の感情も、セットにして覚えておこう。




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2016/03/20

もっと早く、もっと遠くに




土曜日はうららかな日和だったヨス。家のすぐ近くにある木蓮の木は、一番てっぺん、一番陽が当たるところから蕾が開き白い花が咲き始めていた


ワークショップのため半日の休日出勤をしたドンちゃんを待ちながら、お昼ご飯作り。暖かいから窓を開けっ放しにしながら台所に立つ。なので、BGMのラジオはイヤホンで聴くべきかなと思い、耳を塞ぎながらの料理。だけど、炒めている時の音が聞こえないのは材料に火が通る感覚が掴めない事に気づき、すかさずイヤホンを外す。料理をするときは聴覚も重要なツールだと気づいた瞬間

作ったのは土曜日の定番ランチ、ドライカレー。基本的に家での昼食は一品メニューにプラス野菜だから楽ちん。椎茸とごぼうをたっぷり入れて、鰹節で出汁をとって、最後に煎り酒を加えて和風の味付けにしてみた。




ドンちゃんが帰ってきて、すぐに一緒にいただきますをした本当はお昼を食べる前にジムに行って走りたかったけれど、ドンちゃんがあまりにもお腹すかして帰ってきたから。なので、この日は夕食の前のランニングになった。

そういえば、この前、とうとう5月に行われる大会に夫婦でエントリーした。場所は釜山。日曜日だから、前日の土曜日に釜山入り、ドンちゃんは翌日の月曜日を有休にすると言っていた。大した距離を走るわけではないけど、大げさで大掛かりな準備が必要な私たち。でも5月の釜山ってなんかいいな。暖かいと暑いのちょうど真ん中の、大きな港町を走ることができるんだ。

ちょっと前までの私は、ドンちゃんはともかく、根っからの農耕民族のDNAを受け継いでいるんだと思っていた。だから、「もっと早く走りたい、もっと遠く走りたい」という欲望は自然には生じないのではと決めつけていた。そうゆう欲望は狩猟民族型なはずだって思っていたから。ところがどっこい。大会に出るという高揚感も手伝ってか、最近は走るたびに「もっと」という欲が自分のお腹の底あたりから生まれるくることに気づいた。ちなみにここでのもっとは「早く」ではなく「距離」を求めるものだけど。でも、そんな自分にびっくり。





こうゆう気持ちは走っているときに生まれるものだけど、走り終わった後にも常に自分の中に消えずに残っているものでもある。なので、私の日々がランニングの色に段々染まってきた。例えば、その一例が食生活。長距離を走るのはもう少し筋肉をつけた方がいいよねとドンちゃんと話し、高タンパク質な食材をなるべく食べるようになった。なので、写真のように豆腐やアボガドといった、いかにもな食材を最近買い物籠に入れている。あとは美味しい納豆があれば万歳できるんだけどな

ということで、お昼ご飯のドライカレーにはアボガドものせて。5月の大会の準備に抜かりなく、二人で目標に向かってコツコツ走っていこうと気合を少しだけ入れた土曜の午後。

とかいいつつ、この日の夕食は炭火焼カルビのお店でお肉をたらふく食べた。あれ、やはり簡単には染まらない?





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2016/03/18

わだかまり



その日は22時半の深夜バスに乗ることができたので、帰りはいつもより早めの深夜12時を過ぎ。ヨスのバス停ではすでにドンちゃんが待ってくれていて、手にはコンビニで買ったビールが入った袋をぶら下げていた。

私は授業前に小さなパンを急いでお腹に入れただけだったからお腹ペコペコ。聞けばドンちゃんもお腹空いているということで、帰り道に社宅前にある24時間営業のコム タンのお店へ。二人で牛の頭のお肉がたっぷり入ったスユックッパを頼んだ。白くてさっぱりしたサゴルのスープにご飯と素麺を入れてお肉と一緒に食べる。店内には夜中にも関わらずお客さんもまばらにいて、皆、CLのハイライトが流れているテレビに夢中。そういえばバルサの試合を久しく観ていないな、なんならスワレスが入団してから一度もフルで観てないよね、ということを二人で話しつつも、ご飯と汁をすくうスプーンの手は止まらず。お腹いっぱい。

社宅への帰り道、ドンちゃんと一緒に桜の木を見上げたら、蕾が随分大きくなっていることに気づいた。暗闇の中でもくっきりとわかる、ちゃんと枝の先で自己主張している。また春が来たんだねっという二人で春を迎えることができる喜びと、家に着いたらお風呂とビールが待っているという楽しみで、スキップしそうになったんだけど、でもすんでのところでできなかった。心に何かがひっかかっていたから。

その蟠り(わだかまりが何だかはすぐにわかった。その日の授業が始まる前に、仲良しの中国人の同級生が告白してくれた。故郷の重慶の大学での職が決まったから、急だけど再来週にはここを発たなければいけないと。彼女は中国語、韓国語、日本語を駆使する才女で、同じ時期に入学し、同じ指導教授のもとで一緒に学んできた所謂「同期」という存在。彼女と私と、韓国人の博士の先輩との三人で参加する授業では日中韓3ヶ国における漢字音の比較をずっとやってきて、そこで毎回彼女がサンプルとして中国語を発音してくれるんだけど、その音が本当に美しくて優雅で、私はうっとりしながら何度もリクエストして

卒業は近いけれど、まだもう少し彼女とは一緒にいれると思っていたので、その報告を聞いたときは彼女の就職したことへの嬉しさと、なかなか会えるのが難しくなくなってしまうという悲しさがはんぶっこ。私の蟠りはその悲しさだったわけだ

でも彼女に会えなくなる悲しさだけではこの蟠りは解けない。その先には、彼女が大学院の外に出たことによって、否が応でも卒業後の自分について、私はどう進んでいけばいいのか、ということに私が向き合わなければならないという現実があぶり出されたから。

卒業後の自分の未来を描いていくことはそんなに難しいことではないし、楽しいことでもある。入学前にある程度の考えと計画があったわけだから。が、今の私にとってはそこに大きな乗り越えなくてはいけない問題がある。

それは子供がいる人生か、子供がいない人生か

この話をブログで書くのかは迷ったんだけれども、自分の記録のために書いておこうと思う。私は、今現在、自分が子供が欲しいのか欲しくないのか、よくわからない。正直にいえば、いなくてもいいかもしれないと思う時が多い。それはもう色んな理由から。でも、完全に私は子供はいりません、とも言えない。欲しいなと、思う時もある。

親から愛情をたくさん貰って育った自分が、まさか欲しいか欲しくないかで悩むなんて思わなかった。欲しくない、いなくても別にいいと思う自分がなんだかすごく怖かった。私はは結婚したら自然に子供が欲しくなる人間なんだって思っていたから。欲しいか、欲しくないかで問答するスパイラルに自分が閉じ込められるなんて。これについては4年考えてきたけど、答えは出ない。出ない?いや、出していない。


結婚してから子供は「いつかは」と言って来た。そこに私は自分のグレーな部分を隠してきたんだと思う。答えは出ないのではなくて、先送りにしてきた。答えを出さなかっただけ。何か、私を動かしてくれる出来事に出会えばきっと決心できるって思っていた。友人の出産や、親の言葉や、何かのインタビュー。そうゆうのに触れていれば、自然に答えが出るのはと思っていた。つまり、他人に任せようとしていた。


でも、中国人の友人の進路から、自分の卒業後を考えなくてはいけなくなり、これからの具体的な計画を立てようとしている今、まさに今、私はこの問題について真っ向面から向き合わなくてはいけないってことに気づいた。30歳の私が、未来の私のために、ここでハッキリと決定すべきなのではと本能的に思った。これはある意味、自己防衛だと思う。だって、これ以上先送りにして宙ぶらりんのままにしといて、時間のリミットに決定権を握らせてしまえば、未来の私が苦しくなると思うから。どっちに行くとしても、さらに自分の行く方向に特別な理由をつけようとしてしまうんだと思う。特別な意味を求めようとすることは、大変で辛いことだって知っているから。

の問題に対して答えを出してこそ、卒業後の私の道を描くことができる。あくまでも計画だから、どう進むのかわからないし、答えに対してその反対の結果になるのかもしれないけど。でも少なくとも、今ある蟠りを解けることはできるかもしれない。そして解けたら、ドンちゃんと桜の下でスキップすることができる。


私はドンちゃんと満開の花の下でスキップしたい。




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2016/03/15

イエローな春




ドンちゃんと一緒に選んだチューリップ。ドンリップちゃんと名付けた。

どんな色の花が咲くかなって二人でワクワクしていたんだけど、天気が悪い日が続き太陽の光が不足したせいか、なかなか変化が見られず。もしやこのまま枯れてしまうパターン?と憂いつつも、少しでも日差しが出たもんなら日光浴をさせ、陽の位置の流れと一緒にチューリップも少しづつ移動させてあげるなど、ドンリップの晴れの姿を見るために常に気を配る日が続く




が、ある日の朝、私より先に起きたドンちゃんの「マイベイビー!ドンリップちゃんが変身している!」との声に飛び起きて駆けつけたら、なんと一晩のうちに一気に鮮やかなイエローに!幼稚園の年少の頃、学芸会で赤いチューリップ役をやった私としてはレッドであればいいなとか思っていたりもしたんだけど。でも初春にみる黄色は胸を打つ美しさ。赤やピンクよりも控えめで、でも確かに春を実感できる色。




その後、少しづつ花びらが開いてきたんだけど、まだ咲かず。ドンリップちゃんが綺麗に咲いた暁には、ドンちゃんに「咲いた咲いたチューリップの花が〜」の童話を教えて歌わせなくちゃ。もちろんチューリップの部分はドンリップに変えて。ぐふ。





イエロー繋がりで・・・ホワイトデーにドンちゃんに貰ったお花も黄色のフリージア。ドンちゃんがお花屋さんに聞いたところによると時期的に今年最後みたい。こちらも気取らない無邪気な美しさがある。

ホワイトデーの当日の夜にこの花束を持って帰ってきたドンちゃん。ポケットからは私が欲しかった某ブランドのアクセサリーを出してくれた。びっくり。

どうやら、私に内緒でネットで注文し、私にバレないように社宅の警備室で保管してもらっていたらしい。その日の夜は花束と小さなケーキを購入し、警備室でプレゼントをピックアップしポケットに忍ばせて、帰ってきてくれたみたい。



↑フリージアって茎が美しい


付き合っている頃から、こうゆうサプライズをしっかりとしてくれるドンちゃん。当初は周り知人に「学生で時間があるからこうゆうイベントをしてくれるんだよ、社会人になったら変わるもんだよ」とか言われたけど(そんなことないもんって思ってたし、ドンちゃんは理系だったので学生の頃も実験やなんかで充分忙しかった)とっても忙しい社会人になっても学生の頃と変わらず、私のことを喜ばせてくれるドンちゃん。つくづく、性格なんだなって思う。

ありがとうって言ったら「僕の喜びなんだよ」って優しく微笑むところも、あの時と変わらず。変わらない無邪気なドンちゃんこそ、フリージアが似合う。ドンジアと呼ぶか


ドンリップちゃんが綺麗に咲く姿を早くドンジア(夫と一緒に見たいな。




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2016/03/14

二人遊び


金曜日の夜に必ず「週末何しよっか?」という話になる。それは、せっかくの週末を二人で楽しく過ごすための家族会議。二人で必ずやるランニングや掃除、それとお互いの仕事や勉強やら週末中にやらねばならぬことを挙げた後、それらを考慮して余裕があればどこか遠出、時間的に余裕がなければお家で空いた時間を二人でどう過ごすかを色々と話し合う。

今週末は私が修士論文のための資料の打ち込みをしたかったのと、ドンちゃんも読んでおきたい本があるとのことで、ヨスで過ごすことに。では空いた時間、何しようか?ということになり、そうゆう時は大体一緒に料理とかになる場合が多いんだけど、やはり二人してお肉が無性に食べたかったので、「夜にお家でステーキを美味しく焼いてみよう!」ということになった。





午前中のランニングの後に二人で買い出しに行って、安くなったステーキをゲット。もちろん海外の牛肉。ドンちゃんがステーキを美味しく焼く方法をリサーチして、実際に夜に実践してみる




ドンちゃんリサーチによると、冷蔵庫に保存していた牛肉は焼く30分前に室温に戻しておく、強火で焦げ目がつくぐらいに焼く、焼いた後はパッドにすぐに移し少しだけ置く、ということに気をつけると良いとのこと。二人で美味しいステーキを目指し、実践してみた結果。。。




まあ、結局肉が美味しければどう焼いても美味しい、つまり肉が悪ければどんなに努力して焼こうが美味しくならないということを学んだ。完食したけど。

日曜日はNBAのビックゲーム、SpursとThundersの中継が午前中にあったので、それを「フレンチトーストを食べながら観戦しよう」ということになった。




フレンチトーストは前日から準備。ちなみにドンちゃんは私と結婚して初めてフレンチトーストを食べたらしい。私が初めてフレンチトーストを作った日、「僕は生まれて初めてだよ」と美味しそうに食べながら言ってくれた。フレンチトーストを小さい頃から食べているとか大人になって知ったかとかは重要なことではないんだけど、でも彼のそうゆう小さな告白が私はすごく好き。そうゆう告白の欠片を私は集めて、彼の全体の像を自分なりに描いて、より深く理解していく。そうゆう作業が好きだから。




で、当日の朝はフレンチトーストを焼く時間と試合が被って、私は大好きなDurantの1st quarterの最初の方の素晴らしいポイントを見逃したんだけど、でも美味しくできてその後のゲームもドンちゃんと楽しく観戦できたので良し。





夜の映画のお供に残りを夜食で食べてしまった、しかも粉砂糖をたっぷり、というのは計画外だったけど。


二人で過ごせる大切な週末だから、小さいことでも二人で決めてみれば、それが二人にとって楽しいイベントになるし、取り組んでみれば二人の共同作業になる。私もドンちゃんもそんな風に週末を過ごすのが好き。





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