無知に拠る偏見を持ち、それが世の中のすべてだと思っている人が好きじゃない。そうゆう人に出会うたびに、私は絶対こうゆう風にはならぬまい、と心で強く強く思ってしまいます。
でも、悲しいかな、偏見を持たない、自由な心を持っている自分でいたいのに、それができていない時がすごく多いのが現実。無意識に、何かしらの色が付いている眼鏡をかけて物事や人を見ている自分がいるんです。それに気づくたびに、とても自分に失望します。そんな自分が嫌い。そして、厄介なことに、そんな自分を認めたくない自分自身もいるんです。
だからか、ディズニー映画の新作である「ズートピア」を観た時に、ものすごく心が痛かった。偏見を持っている自分に気づかなかった、そんな自分が許せなかった主人公に自分を重ねてしまったから。
最近も、気がついたら偏見に囚われている自分がいて、そんな自分にウンザリして、ちょっと落ち込んでいたんです。そんな落ち込んだ気持ちでバスに乗って、いつものようにPodcastでラジオを聴きながら、少しでも気分を紛らわそうと窓を眺めていました。いつも聞いている大好きなDJの大好きなラジオ番組。
そしたら、ラジオDJが私に語りかけてきた。
「偏見を持つことはとても大事なことだ」
「なぜならば、あなたの偏見が取れた時、あなたは間違えなく幸せになることができ、知性をより得ることができるから」
と、まるで私の今の気持ちを知っているかのような、もちろんそんな訳はないのだけれど、でも、ものすごいタイミングで聞こえてきたこの言葉。びっくり。でも、この言葉が私の深く心に刺さり、言葉の意味を理解した瞬間から涙が出てきました。「ああ、そうか」って。
重要なことは、自分の持っている偏見を一つずつ解除していきながら、喜びと知性を得ていくことなんだ、と。偏見を持つ自分に失望する必要なんてないんだなって。
そんな風に考えたことがなかったから、とても感動してしまった。でも考えてみれば、何かに対する(例えば韓国に関する様々なこと)偏見が取れた瞬間はいつも、嬉しさと喜びで満ちていた気がします。
誰だって何かしらの偏見を持っている。だって人間は皆、具体的な世界に生きているから。私はそんな自分を認めて、それを解く努力をして、幸せになって、より自由な心を持つ自分でいたいなって思います。
写真は内容と全然関係ないけれど、ドンちゃんと作った朝食、モンティクリスト!
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