さて、旅の記憶が薄れないうちに、備忘録程度に書いておこうと思う。
ただ、スケジュールに沿って書いていくと膨大になりそうなので、国別、都市別に書いていきます。
9泊10日の間どのように三カ国を周ったのかは書きませんが、もし今後バルカン半島(クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ)を旅行する計画があり参考にしたい、という方がいらっしゃれば、コメント下さい。
では最初はボスニアヘルツェゴビナから。
なぜ最初かといえば、今回の旅で私が一番行きたかった場所だったからです。複雑な旧ユーゴ諸国の中でも、このボスニアが一番複雑だったということを勉強し感じました。15世紀後半からオスマン帝国の占領下、露土戦争後のベルリン条約後はハプスブルク帝国の軍事占領下に。まさにハミルトンのフォルトラインのその上にあるんだな、という強い印象を持っていました。そして、両帝国占領下のなか複雑な様相を帯びるこの国の人たちの、自己意識がどのように形成されたのかにも興味がありました。結論的には、ボスニア王国時代から地域を基盤にしたボスニア人意識があり、1880年代以降、ボスニア内のクロアチア人はカトリック、セルビア人は正教徒といった宗教共同体への民族意識が強くなっていくみたいです。(もちろんその過程でムスリムもイスラム教を土台として民族意識を強くしていく。)
さて、前置きが長くなりましたが、そんなボスニアヘルツェゴビナで私たちが選んだ場所は、モストルとポチテリ。ムスリムの文化が色濃く残る、そんな街を選びました。
ボスニアヘルツェゴビナ
「モスタル 東西の交差点 文明の出会う街」
モスタルはヘルツェゴビナ地方の政治、経済、文化の中心地。
旧市街地は世界遺産に登録されています。
(クロアチアやここではボスニアとヘルツェゴビナを分けています)
美しい景色が広がっているんだろうなと思っていたら…到着してすぐに目に入ってきたのは、内戦の痛々しい傷跡でした。↑
↑旧市街地に入っていきます。旧市街地はオスマン帝国占領後にできた街。1466年から68年の間にできたと言われています。
戦略的にとても重要な場所にあったモスタル。なぜならば、キャラバンがモスタルを通ってアドリア海円買いの塩、オリーブ、魚を運んできたからです。つまり交易の中心地。必然的に街は大きくなるわけです。その時代の建築物もたくさん残っています。
中央を流れるネレトゥヴァ川。そしてコスキ・メフメド=パシャのモスク。
このモスク、外回廊から下はまったく装飾のない、17世紀に建てられたものです。
モスクの前にはシャドルヴァン。
有料ですが内部にも入れます。ちなみにここではユーロを使いました。
オススメは内部に併設されている塔。大変だけど登ってみてください。
すべて登り切ったあとに広がる景色は…
モスタルのシンボル、古橋であるスターリ・モスト!ものすごく美しかった。橋と川と山と空と街並みが一つの作品となって目の前に迫りくる、この旅で見たどんなものよりも美しい景色、息を飲む素晴らしさでした。
塔から見た川を挟んで左側はムスリムが住んでいて、
こちらの右側はクロアチア人が住んでいます。その証拠に教会が見えるのがわかりますか?自分がいる場所がモスクと考えながらそのすぐそばに建つ教会をみているとなんとも不思議な気分です。
アドリア海へ向かうネレトヴァ川の水は様々な鉱物が溶けて魅力的な灰緑色です。水温はとっても冷たい。
ボスニアの人が「ここはヨーロッパでも有名な場所なんだ、なぜならば夏の最高気温が一番高いからだよ!でも水温が冷たい。なので橋から飛び降りるとその気温差で死んでしまう人もいる」と言ってました。
たしかにここは山に囲まれた盆地だから夏は暑そうだ。
ちなみにこの橋、なんと16世紀トルコ建築の大家であるシナンの弟子が設計したもの。(シナンといえばイスタンブールのスレイマニエモスク!)
たった一つの石造アーチだけで支えられているこの橋、今でも当時の人がどのように作ったのか議論が行われているそうです。
が、この橋も内戦で壊されてしまいます。ユネスコの協力で2004年に再建されますが、街にはこの「DON'T FORGET」の文字が。当時の1993年を忘れないという意味や平和が込まれているのは容易に想像できました。
その他、戦争博物館や橋の博物館にも行ったのですが長くなるので割愛。
さらっと写真で振り返ります。
人懐っこい猫ちゃん
ハンドペインティングの器も売っています。ただ、中にはメイドインチャイナを売るお店もあるので注意してと言われました。私はお皿とポーチ、そしてモスタルの画家から絵を買いました。
川沿いにはランチできるお店がたくさん。
欧米からの観光客もたくさんいました。
モスタルはブドウの栽培が盛んでワインも美味しくて有名。私たちもお昼はトルコ料理に地元の赤ワイン。が、食の記事は後でまとめて書くのでここではこの写真だけ。
と、モスタルが一番良かったので、長々書いてしまいました。
最後にボスニアの人たちの印象ですが、ニコニコしているわけではないんですが、とっても親切で懐深く優しい人たちでした。現地で知り合った人やローカルガイドのお姉さんたち。
日本を出て、韓国で暮らしたり旅をしたりして感じることは、日本の「おもてなし」がいかに薄っぺらいのかということです。
次はボスニアのポチテリについて書いていきます。
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