さて、前回のボスニアヘルツェゴビナ モスタルに続き、今回はモスタルの近郊にあるポチテリについて書いていきます。
ボスニアヘルツェゴビナ
「ポチテリ 中世の砦街」
ポチテリに着くと、まず目に付くのが高いところにあるこの砦。実はこれ、1400年代に建てられたもの。
この街はハンガリー王国時代、マーチューシュ王の時代にドブロブニク人によって作られました。もちろん、この塔の役割は対オスマントルコ。地図を確認してもわかる通り、モスタルと同様に文明がぶつかる地点です。ここが守りの要。マーチューシュの時代、この街は軍事的にもとても重要な街だったみたいです。守備の砦として大きな役割を果たんですね。
しかし、軍事的な意味で繁栄を築いたポチテリは1463年にトルコによって占領されます。ゆえに塔の下にはオリエンタルな雰囲気が広がっているのです。
このオスマントルコ占領時は、公共の建物が建てられました。モスクはもちろん、ハマムや小学校、高等学校など。この時代、この地は戦いとは無関係だったみたいです。重要性は文化的な意味合いで強まり、平和な繁栄が続いたんですね。
が、しかし、ボスニアがハプスブルク家に占領されると同時にこのポチテリの重要性は急激に落ちていきます。(建物の保全には適していた時期ではあったらしいけど)
そして記憶も新しい内戦。ムスリムが多く住むこの街はクロアチア軍の標的になり、爆撃され甚大な被害を受けることになりました。
歴史を見てみるとこの土地は、というかこの地域は、結局誰のものなのか、と考えてしまいます。ボスニア内戦では分離権を求めるのは共和国だったのに対し、結局自決した主体が民族であったのですが、その結末なのかもしれません。
単一性が求められて多様性が排除されてしまった。にも関わらず、悲しいけれど、モスタルやポチテリはオリエンタルと西方教会が混ざり合のは目に見えます。負の側面が強かった地域ゆえに。
とても静かな街だったのですが、それが逆に平和を一層に引きたてている気がしました。
ここはモスタル同様、ぶどうや果物が有名。ドンちゃんとチェリーを買って食べました。甘くて美味しかったです。
さて次はモンテネグロについて書いていきます。
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