My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2016/11/29

小さな食卓




日に日に寒さが厳しくなってゆくヨスです。毎朝、窓を開けて空気の入れ替えをするのが次第に億劫に。先週までは30分は開けっ放しで、家事をしたり朝の支度をしたりできたけど、今は10分が限界。たぶん12月に入れば、5分も窓を開けっ放しにはできなくなるんだろうな。。。

さて、写真は我が家の食卓(夜は間接照明しかつけないので基本暗いです) 正方形に近いテーブルに、椅子が二つ。対面するのではなく直角に座るのが定番です。小さな食卓だけど、ここで二人で食事を取ることがやっぱり好きだなと最近改めて思いました。

というのも、秋ぐらいからずっと、夕飯はソファーの前のコーヒーテーブルで食べていたのです。コーヒーテーブルはテレビの前にあるので、NBA観戦にはうってつけ。そこで試合を見ながら、ドンちゃんとごはんを食べることも楽しかったのですが、床に座るので腰が痛く、おまけに姿勢も悪くなるので、やっぱり椅子に座って食卓で食べようということになりました。

コーヒーテーブルから食卓になったからと言って、NBAを観ながら食べることも、食べながら色んなことを話すことも、特に変わらない。でも、小さな食卓に2人分のご飯が並ぶ姿や、それを二人で囲んで食べる雰囲気は、「あー、私たち、二人っきりで暮らしているんだな」ということを、リアルに感じさせてくれます。この二人暮らしがどれほど幸せで、どれほど大切な時間なのかということを、実感させてくれるというか。

なんでなのかは、よくわからないんだけど、2人用の小さな食卓にはそんな力がある気がします。


オマケ

食卓ということで、昨日食卓を彩ってくれた(?)ごはんたち。




↑ハインツのデミグラスソース缶を買ったので、それで作ったハヤシライス。ほうれん草は海苔とポン酢で、トマトはドンちゃんが大好きなバルサミコクリーム、焼きごぼうとすりゴマの和風マリネ。彩るどころか、地味。






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2016/11/25

市場へお買い物


水曜日は大学院の研究室に行き、教授に執筆中の論文を見てもらいました。

家に籠って一人で一心不乱に書き進めていると、どうしても「私の論文はこれでいいのか」という訳のわからぬ不安に襲われるので、毎回その不安を背負って、ものすごい顔をして教授に会いに行くのです。しかしながら、教授に会って、的確なアドバイスをしてもらい、とてもよく書けている、と励ましてもらうと、その不安は一気にどこかへ。研究室を出てバス停に向かう私の足どりは軽く、目の前はパッと明るくなります。

ま、それも一時的なもので、またこの不安は積もっていくのだけど・・・。

教授に会うのが一番の不安の解消方法ですが、やはり大事なのは日々の気分転換なんじゃないかな、と思います。散歩に出たり、コーヒー飲んだり、走ったり、NBAを観戦したり、家で論文を書く日は必ず、何かしらの気分転換を挟みます。

昨日は午前中、散歩がてら市場へ。風が強い日だったので、セーターにダウンを着て出かけてきました。

少し前までは、陽光をあびキラキラと光っていた柿が目についていたのに、昨日は大粒の苺がその席に。道端のおばちゃんたちはせっせと器用に殻から牡蠣の身を剥いでいて、ああ、冬が来たんだなって実感。

市場は少しだけ早く新しい季節の到来を教えてくれます。






写真は、昨日市場で買った物。右上は明太子の塩辛(韓国版明太子)、右下の袋に入ったのは純豆腐、左上はひよこ豆、そして名前がわからない魚。




純豆腐を買ってきたら、器に盛って出来立てをそのまま食べちゃいます。これが一番おいしい。お醤油を垂らさなくても、いくらでも食べれちゃいます。




ひよこ豆は1キロ400円ぐらいで買いました。これは安いの?

ちなみに豆を買うときは、精米もしている穀物屋さん。韓国では豆はお米と炊く場合が多いので、穀物と一緒に売られているのです。

韓国ではひよこ豆ってどう食べるんだろうって思って、お店のおばちゃんに聞いてみたら「そのままお米と一緒に炊くと美味しいよ」とのこと。おばちゃんいわく、ひよこ豆は他の豆と違って、水に浸けて置かなくてもいいらしい。また、お米と一緒じゃなくても、ひよこ豆だけで炊いてもご飯の味がして美味しいよ、とのこと。



おばちゃんのアドバイスは胸にしまい(爆)、私は一晩水に浸けて、コトコトと煮ました。ローリエと一緒に。今日はサラダにして、明日はスープにして、スムフにもしたい。残りはすべて冷凍保存。




豆といえば、この前は大豆を煮ました。昆布と一緒に。韓国で、日本で売っているような豆の水煮を見たことないんです。なので、いつも乾燥豆から水に戻して煮て、料理に使います。コトコトと豆を煮る時間は好きだし、好きな固さに調整できるからいいんですが、やっぱり日本のように豆の水煮があれば便利だなーって思う。。。今思えば、ミックスビーンズの水煮の缶詰とか、あれは神ががって便利だよ。



これは買ってきた魚。15匹からでしか売らないところを、魚屋のおばさんに「夫と二人暮らしなんで、こんなに食べれないー」と言って、半分を半値で売ってもらいました。

名前を聞くのを忘れたけれど、国産で旬な魚らしい・・・。

ちなみに美味しい食べ方を聞いたところ、焼くか蒸すがオススメとのこと。蒸すって韓国らしい。

台所で綺麗に洗って、鱗をとって、内臓も取って、下処理。開いておこうかなと思ったんですが、小さいからやめておきました。

どんな魚なのか、さっそく焼いてみたら、白身でたんぱくな味。なかなか美味しい。なので、3分の2は塩を振って保存、その日のうちに焼いて食べるように。





残りはオリーブでマリネに。イタリアで買ってきたハーブのスパイスとトリュフの塩で味付け。今日はこれをソテーにします。



と、市場に行って、お店の人と話して、買って、台所に立って色々と下準備したり、料理したりするのは、論文執筆の気分転換になります。何よりも楽しくて、幸せ。


不安は募るし、気分転換をしたところでそれがすべて解消するわけでもないけれど、でも幸せな気分はより良い論文を作り出すパワーになる気もする・・・。


あくまでも、気がするだけだけど!





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2016/11/23

海がある生活




ぐんっと気温が下がって朝を迎えたヨス。どうやら冬が来たらしい。出勤間際のドンちゃんに今日はコートを着なくてはだめだよ、と注意されたました

起きたら乾燥で喉が痛い。この乾燥こそが、私にとって冬到来の知らせ。韓国の冬は東京のそれと比べたら、圧倒的に寒く、そして乾燥します。この乾燥は、オンドル(床暖房)をつけると加速度的に酷くなるので、なんとも厄介。去年、大きな加湿器(名前はドンムルちゃんを買ったので過ごしやすくなったけれど、それまでは桶やお風呂に水を張ったり、お湯を沸かしたり、できる策は全て講じてたな。。。

海のそばに住んでいるのに、こんなに乾燥するんだ、と毎冬思います。だって、海があれば、しっとりしそうじゃない?

そう、我が家は海に近いのです。家から歩いて2、3分ですぐ海。だからと言って、悲しくなったら海を見に行く、とか、海を見てないから気がおかしくなる、といったことはなく。ふと、気づいたらそこにある存在。特に散歩中に、それに気づきます。私が住む街には海があるんだなーって。




週末は有給を使い三連休にしたドンちゃん。二人でヨスで過ごしたので、毎日散歩してました。散歩コースはその時によって違うけれど、大体は海沿いを歩いています。




この日は久しぶりに浜辺がある公園まで。




波を見ると満潮から潮が弾き始めている時でした。ここに暮らし始めて、海の面白さには、満ち潮と引き潮がある、ということに気づきました。というのも、重力に引っ張られて、重力に押されて、水の量が増えたり減ったりするというのを見ていると、地球に重力が働いていることや、丸いこと、自転をしていることが身近に感じられるから。あと、自分が地面からは到底自由にはなれないことを思いしらせてくれるから、面白い




浜辺をのんびり歩いて、カフェで一息。




広くて静かなカフェなので、持ってきた本をそれぞれ読みます。ドンちゃんは私が勧めた、サルマンラシュディーの真夜中の子供たち、私はカプシチンスキの黒檀。

夕飯にワインと食べようとカフェでバケットを買って、西日に照らされながら、また海沿いを二人で歩いて家路につきました。

海にありがたみを感じながら生活している訳ではないけれど、ドンちゃんと散歩しながら眺める海は好きだなって思う。この距離感がいいね。







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2016/11/18

20年


先日のスーパームーン、ヨスでもくっきり美しい姿を拝むことができました。
あんなに完璧な丸が、この地上ではなく遥か離れた誰も手に届かないところに、しかし目ではしかと見えるところに、あるなんて。この事実がこの世界に対する強烈な皮肉のように思えます。

煌煌と輝く月を見ているといつも思い出すこと。星野道夫さんの「森と氷河と鯨」という本の中に載っているインディアンの詩。

月の光を浴び続けろ。いつか、月が気づくはずだ。お前が月だって。

という内容。月と一体になるその世界観が好きで、それと、どこか慰めてくれるような大らかさもあって、どんな時も、どこにいようと、月を眺める時はこの詩をブツブツと反芻しています。






星野さん。今の私を作った様々な要素の一つだと、間違いなく言える存在。

小学3年生の時に星野さんの本に出会い、ファンレターも書いた。出版されてる本は子供向けも大人向けも全て買ってもらい、熱中して読んだ。4年生の夏にアラスカに一番近いからと、北海道の根室に家族旅行。そしてとうとう5年生の夏、家族でアラスカ旅行が決まったその夏に、星野さんはロシアで亡くなってしまった。

その悲しいニュースを聞いたのは暑い朝。今でも覚えている。寝起きの私にお母さんが「星野さんが亡くなったのよ」と言った瞬間のこと。嘘だ、と泣きながら、家の日経新聞で小さく記事になっているのを読んで、その瞬間に本当なんだと実感したこと

あの夏のこと、家族で行ったアラスカ、あれからもう20年も経つなんて。でも、何一つ色褪せない。星野さんが綴る文章も、その写真も、それを通した私の記憶だって、いつだって色は鮮やか。これからも、ずっとそう。

同時に、星野さんがいない世界への失望も、20年経った今でも、強く感じる。彼にしかできなかった仕事があった。それを残したまま亡くなってしまいった。残念で、残念で、しかたがないこの気持ちを、彼のファンの一人としてこれからも私は抱えていくことになるんだろう。

写真は、没後20周年で星野道夫特集を組んだ雑誌三冊。Aちゃんから本屋に売っていると教えてもらって、全てアマゾンで購入。


ドンちゃんと歯を磨きながら、月を眺めた夜。星野さんの話をして、彼を偲んだ夜。





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2016/11/15

冬の色


週末は天気が崩れたけれど、今日はすっきり晴れたヨス。この前社宅内で見つけた、黄色と黒の美しいメス蜘蛛とその大きな蜘蛛の巣は、週末の雨にも被害を受けなかった模様。ただ雨で落ちた赤や黄色の葉が蜘蛛の巣にくっついていて、蜘蛛にとっては迷惑そうだった。

秋になってから野菜特に葉野菜が高く、買い物に行くたびに「どうしたものか」と悄然としていたのだけど、最近少し落ち着いてきたようで少しだけホッ。ひどい時は、枯れかけのほうれん草が700円ぐらいして、某大型スーパーに「ろくでなし!」と暴言を吐きそうになった。



近所の農協スーパ―で買ってきたほうれん草。袋いっぱいに入っていて200円ぐらい。買って来てすぐに、水で洗ってザルにあげた。葉は弾んで肉厚。葉脈が谷のように刻まれていて、なかなか美味しそう。そして何より、色がいい。深い緑はまさに冬の色。

買ってきたほうれん草に満足しつつ、その冬の色を眺めていたら気づいたこと。冬にピッタリだと思ってプレゼントしてもらったピアスの色もこの色だった。



左は夏にたくさん活躍したピアス。でも寒くなってきたら、自然と手を伸ばさなくなった。右がこの前買ったほうれん草色のピアス。最近はこればかり付けています。季節によって耳に付けたい色が変わるっておもしろい。人間の感覚は四季と自然に大きく影響を受けているんだな。

ちなみにほうれん草は一気に茹でて、半分は昨日の晩ご飯に。豚肉とキノコと白菜の鍋に入れました。手作りのゴマだれで食べたら、とっても美味しかった。今日は煎り酒でお浸しにしよう。



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2016/11/11

どこまでも一緒にー小さな港町、統営へー



私が「◯◯に行きたいな」と言うと、ドンちゃんは「次の週末に一緒に行こうよ!」とすぐに提案してくれます。ドンちゃんは私の行きたいところに連れて行ってくれる。一緒に行ってくれる。私はドンちゃんのそうゆうところ、そうゆう姿勢がとても好き。

先週末はトンヨン(統営)という港町に行ってきました。韓国では有名な観光地で、「韓国のナポリ」と呼ばれています(爆

造船(すでに終わりかけているが、、、)で有名な街で、全体としてこじんまりとしているのですが、街と海がとっても近いんです。ヨスよりも、釜山よりも、ずっと。「海がある暮らし」とは、ここでの暮らしのことを言うのではないか、と思うほど。ぶらぶらと歩くだけでも面白い、好きな街の一つです。

ここに訪れるのは二度目。留学生活の幕がいよいよ閉じようとしていた時期、日本に帰国する一週間前にドンちゃんと一緒に旅行した街なのです。「もうすぐ離れ離れになってしまう」という寂しい気持ちをたっぷり抱え、二人でぴったりくっついて、一緒にどこまでも歩いて、たくさん話をした、思い出いっぱいの特別な街。ここに来たかった理由は、ここで食べた焼き魚定食をもう一度食べたかったという理由だけど、結婚した今、また2人で訪れることも何か意味があるかも、と、どこかで思っていました。ふふふ、後付けの理由





金曜日の夜に出発したので、夜ご飯はトンヨンの中央市場の小さな食堂で。おめあての焼き魚定食を食べました。






その日は1泊4000円の安い宿に泊まり、朝早く起きて、お散歩。そして朝ごはんはトンヨンで有名なごはんと海苔だけのキンパ。




そして弥勒山へ。ロープーウェイに乗って、山頂まで少し歩くとトンヨンを一望できるのです。初めてここに来た時に、景色の美しさに強く感動しました。だから今回も必ず登りたかった。





島が空に浮かんでいるように見えるところが好き。








お昼前に戻ってきて、中央市場を歩きます。ヨスよりも釜山よりも活気に溢れるトンヨンの水産市場。




お昼はトンヨン言えばの牡蠣。牡蠣定食をドンちゃんの友達と一緒にいただきました。牡蠣のジョンと、牡蠣ごはんが美味しかった。

(ここで結婚したぐらい好きな彼女の話を聞いたんだけど、彼女が「クラシック音楽と独立映画が好き」ということで、わー友達になりたいなって思ったんだけど、なんと宗教にどっぷり浸かっているらしい。わー友達にならなくていいや、と思いました。ドン友は結婚して子供ができたら宗教から身を引いてくれると考えていたけれど、甘いな。恋は盲目。あーこわい)


二人で改めてトンヨンに行ってみて、あの時の私たちとはもう二度と会えないんだなーっという不思議さ、けれどもあの時の私たちと今日の私たちは特に何も変わらないんだなという不思議さを感じました

遠距離恋愛が始まろうとしているあの時の私に、今の私は二度と会えないんだから、私は今この瞬間にしか存在しないといえる。でもあの時の私と、昨日の私と、今の私はやっぱり同じ私でであって、その根拠はどこにあるかといえば、ドンちゃんとの関係の中なんだな。

あの時の私も、今の私も、変わらずドンちゃんのことが好き。この気持ちは、私が私でいる大きな要素だって、トンヨンで強く感じました。

人間は流れるような存在だからこそ、人との強い絆を作るしかなく、その中に拠り所を求めるんですね。

帰りの高速バスの中で、私の手をぎゅっと握りながら「いっしょ に いく よ」とドンちゃん。「どこに?」と聞くと、「ど こ で も」とにっこり。


これからも、生き続ける限り、どこまでも一緒に、色んなところに行こうね。






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2016/11/09

想像する


一番上の弟は精神障害を専門に仕事をしています。ゆえに、週末はよく学会や研究会に出かけ、新しい病気ついて勉強しているようで、時々、そこでのトピックを話してくれます。たまにする電話や、私が日本に帰った時なんかに。

一番最近で印象に残っているのは、ある中東の研究者が報告したという話。

空爆を日常的に受けている人は、日々ものすごい緊張の中にいるので、体がものすごく凝った状態なんだそう。それは一回のマッサージやストレッチなのでは治らないぐらい、ひどいものらしい。少しずつ時間をかけて、体の緊張をとっていくのだけど、それがほぐれていくと、空爆の時の恐怖がどんどんと溢れだして、おかしくなってしまうのだそう。緊張は体だけではなく心もガチガチにし、恐怖をその中に押し込める。そして、体の緊張が解放された時に、それも一緒に一気に出てくるんだって。つまりは、空爆でガチガチになった患者の体をほぐす時、身体を専門的に扱うトレーナーの他に、精神障害の専門家も一緒にいなくてはいけない、という報告だったんだって。

元々、空爆は反対。どんな大義の元でも、絶対にするべきではないと思う。弟のこの話を聞いたときはものすごくショックを受けたけど、同時に空爆に反対する思いはさらに強くなりました。私が反対したところで、何も変わらないけどさ。

でも、そうゆう話を聞いて、苦しんでいる人がいること想像することは、とても大事なのではないかと思う。人の痛みを想像することは難しいし、どんなに想像したところで、本当の痛みを知ることはできないけれど。でも、いつかどこかで、自分とは違う他者が救いの手を求めてきた時、すぐに手を伸ばせる自分でいたい。





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2016/11/08

定住するとは



玄米と白米を混ぜて、みりんとお酒を少々、そこに細かく切って水にさらしたサツマイモをのっけて炊いた、サツマイモごはん。

韓国のテレビ番組とかで「田舎ごはん」というと、出てくるのがこのサツマイモごはんだったので、チャレンジしてみたわけです。ドンちゃんが懐かしむかなって思って。が、実物を目にしたドンちゃんが言い放った一言は「わー初めてみた!」だったから、がっくり。彼は栗ごはんはたくさん食べて知っているけれど、さつまいもごはんは知らないらしい。なんと!

本当に韓国人?とドンちゃんに聞く私でした。



最近、「定住する」ということについて考えています。

私たちは結婚してから、ドンちゃんの会社の社宅にずっと住んでいます。設備は古いけど、部屋は広いし、何より管理費がとても安く、我々にとって割と快適なのですが、でも社宅は所詮社宅、仮の住まい。自分の家ではないという気持ちがずっとあったんです。

とあることがきっかけで、そろそろ社宅を出てマイホームを買おうか、という話になったのが少し前。けれども、マンション?一戸建て?ヨス?スンチョン?と、話を詰めれば詰めるほど、なんだか自分の中に重いものがドーンとのしかかるような気持ちに。

たぶん、家を買うイコール「定住する」ということで、これはこの重みなのではないかな。だって、その土地に定住する、ってすごいことだと思う。だって、自分の人生をそこに築いていくんでしょう。そこで子育てをして、そこで死んでいくんでしょう。つまり、そこに根を下ろすこと、でしょう

そんな大切な場所を、人はいつ「ここに定住しよう」と決めるんだろう。どうゆう心の動きがあって決めるんだろう。決定要因はなんだろう。それとも、そこに定住するということは、主体的には決められないことなのかな。運命で、とか、生まれ育ったから、とか。縁のように出会うものなのかな。そして、受動的に受け入れることでしか、そこに根を掘り下げることはできないのかな。


それとも、どこに住むなんて、あまり重要なことではないのかな。でも私はどこかに根をおろして暮らすことに憧れるし、ずっとここで暮らしたいと思える土地に出会いたい。そこで暮らせるのかは別として。

ドンちゃんはずっとヨスにいるわけではなく、短く見積もったら後2年で本社があるソウルに転勤になるかもしれないし、もう少し経ったらインドに行くかもしれない。でも、ドンちゃんの勤務地がどこになるんだろうという不安と、私たちはどこに「定住するのだろう」という不安は全くの別物で、その不安がある次元も違う。

たぶん私は、「韓国で家を買って定住する」こと自体が怖いんだと思う。きっと、無意識の中には日本に戻りたい気持ちがあるんだと思う。もちろん、ドンちゃんがいるならどこだって良いって思っているし、どこだっていいと言っているけれど。その気持ちに嘘はない。でも、それは自分が思っている以上に脆い気持ちだったんだと、わかる

そういったことを考えた時に、社宅って居心地が良い場所だったんだなって思った。同時に腹を据える決定を先延ばしにする場所でもあったんだなと。モラトリアムの場所。

月曜日、朝一番に市場に行って、純豆腐を買いました。お豆腐屋さんは私のことを知っていてくれて、色んなおまけをしてくれた。




そのお豆腐屋さんの近くにお惣菜屋さんもあって、そこで明太子やチョッカルをよく買うんだけど、今回は沢ガニのヤンニョム漬けが美味しそうで、それをくださいって頼んだら、そこのおかみさんも私のことを知っていてくれた。「辛いけど、大丈夫?」「旦那さんと一緒に食べるの?旦那さん優しそうな人よね」って、声をかけてくれたことが、なんだか嬉しくて、同時に漠然と、定住するってこうゆうことなのかなとも思った。私はヨスに定住しているんだなとも。

定住するって人と人との繋がりの中で感じるものなのかな。

もう少し、柔軟に考えてもいいのかも。でも、こんな風に深刻に考えてしまうぐらい、自分にとって大事なことでもあるんだな。住む土地は自分の思想にも影響するから。

写真はお惣菜屋さんで買った沢ガニのヤンニョム漬け。前述したさつまいもごはんと一緒に食べました。




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