クロアチア
「ドゥブロブニク アドリア海の宝石-城壁に登ろう-」
前回の「ドゥブロブニク アドリア海の宝石」の続きになります。
さて、ドゥブロブニクのold town、旧市街地は世界のどの旧市街地と同じように門をくぐって中に入ります。
中に入いると、ルジャ広場に続くプラツァ通り。早く中に進みたい気持ちを抑えて、まずは街全体を囲んでいる城壁に登って、ぐるりと歩きます(城壁に登るには一人約2000円)
↑チケットを買い、城壁を登ったところから見えるルジャ広場に続くプラツァ通り。
と、ここでドゥブロブニクについて少し。
ここの歴史は想像していたものより、ずっとずっと昔から続いていました。
なんと始まりは紀元前7世紀のイリリア人の時代から。それを聞いた瞬間、自分の勉強不足に失望。私が学んだここの歴史はもはや歴史ではなかったんだなと・・・。
7世紀以降に街の発展が続きますが、今のように本格的な石造りの塁壁になってくるのは13世紀から。
というのも、地図をみてもらえればわかるのですが、ここは貿易上、とても大事な地点だからです。西方教会文化圏にとっては、このドゥブロブニクが最後の地点。ここを過ぎればそこは東方教会文化圏、もしくはオスマントルコです。そしてバルカンの内陸部に行くキャラバンの重要な拠点になるべき地点でもあることがわかります。
このように開かれた貿易地点でもあると同時に外部からの攻撃の危険性に常に晒されていたドゥブロブニク。城壁でぐるりと囲み、町を守る必要があったんだな~と納得です。
ちなみにこの街がクロアチアになったのはつい最近、20世紀になってから。この街だけではなく、クロアチアのアドリア海に面しているダルメチアン地方はクロアチアの一部でいるよりも他の国の一部でいる時間の方が長いです。だからクロアチア内陸部のザグレブと全然雰囲気が違います。
ここ、ドゥブロブニクもビザンティン帝国とヴェネチアの支配下でした。なので、こっちでは挨拶にチャオ!とか普通に言うんですよ。
と、つまらない説明は置いといて、約2キロの中世の城壁を散歩です。
↑1991年の独立戦争で攻撃を受けた時もままになっている場所もありました。
↑町ではもちろん観光業が盛ん。小さな民宿もたくさんありました。
城壁をずっと歩いていくと、旧港が。この町の一番奥まったところに位置するので、それだけ重要な場所だったはずです。
アドリア海の青と太陽がオレンジのこの町をさらに輝かせていました。
城壁を一周して戻って来ました。プラツァ通りは輝く道を歩きながら、
アイスクリーム休憩です。
ピスタチオとオレンジだったけかな?さっぱりととても美味しかった。大きな体のおじさんたちが肩を丸めて一生懸命ここのアイスを食べる姿に見とれながら、私たちも溶ける前に美味しくたべました。
狭い路地に小さなレストランが並びます。私たちもここで見つけて食べましたが、グルメ話はまた次回。
アイスクリームでは足りなくて、クロアチアンビールで乾杯。やはし、乾いたのどを潤すのはどこの国でも生ビールです。
スルジ山に登れば、この町を上からも眺めることができます。改めて見ると、とても小さな町なんだなと思う。なのに、とっても歴史が深くて色んな文化を受け取って色んなことに耐えてきた町。韓国にいるとみえてこないけど、地理的にどこに位置するのかってかなり大きなことなんだなと思う。
ちなみにこの山の山頂には戦争博物館があります。1991年、独立戦争が勃発した年。
ここの博物館、是非、足を運んでほしい場所の一つです。が、セルビアも勉強した私にとっては、偏る内容でした。愛国心とセルビアに対する憎しみが大きいことは感じられたけど。当事者じゃない私はこういった戦争を二元論で語ることはできないので、いつかセルビアに行ったときに同じような博物館があったら絶対に行って、そこから自分の考えをまとめようと思いました。
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