ずっと天気が悪く花曇りの日が続いた韓国。今日は久しぶりに晴れたけれども、気温がぐんっと下がりとても寒く、スプリングコートではなくニットコートを羽織れば良かったと後悔。東京は雪が舞ったとか…。明日からは春の陽気を感じることができると聞いたので、ちょっと楽しみ。
いつもカフェでは温かい飲み物ばかり頼んでいたので、スムージーとか飲めたりするぐらい暖かくなったら嬉しいな。
こちらの地域、おそらく桜の開花は韓国では早い方。なので満開だった桜はすでに散り始めています。散っていく桜は美しくも儚くて、なんだかひとりの人間の人生を見ているよう。変わらないものなんて何もない、無常観を感じてしまいました。年のせい?
日本の両親からは、祖母が桜をうっとりと眺めている写真が届きました。ものすごく嬉しかった。祖母が無事に退院できて元気に春を迎えられたから。そして、祖母と同じように自分も桜を通して春を感じることができているんだって思ったから。
写真は大学のキャンパスで見つけた芝桜とおそらく緋寒桜。桜に気をとられていたけれど、実はこっそりと咲いていた彼女たち。キャンパスではあまり注目する人もいなかったので、ひとり占め。心行くまま眺めて、写真を撮りました。
思えば、花たちが咲き始めているのを見つけて春だなーと感じる感性、これは祖母から受け継いだものなのかも。そういった感性は誰にでもある、とっても当たり前のものだから、それが自分にとってどんなものなのかとは、今まで考えたことなかった。
でも桜を眺める祖母の表情を見て、私の感性はもしかしたらものすごく祖母の影響を受けたんじゃないかなと、漠然と思うようになりました。
花を見てきれいだなと思う感性だけではなくて、何かを作りたい情熱とか。私は陶芸で、祖母は歌と裁縫だけど。
人間の人生は短くて儚くて無常だけど、だからこそ祖母、母、子、と受け継いでいくものがあるのかもしれない。それが意識的にも無意識的にも。そう思うとちょっと救われる自分もいます。
来年は祖母と桜を眺めたいな。
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