My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2014/06/26

彼の意外な一面



もやりと晴れてるヨスです。


写真はドンちゃんお気に入りのキッチン用のアロマキャンドル。後片付けをしながら、この香りに癒されているみたいです。

こう見えて?香り好きのドンちゃん。リビングのアロマディフューザーの香りもドンちゃんのチョイスだし、ファバル島のラベンダーのポプリたちを各部屋に置いたのもドンちゃん。アロマキャンドル売り場に行くと、私よりも集中して見てます(汗)

ちなみにキッチン用のキャンドルはもわっとした甘い香り。正直、私は好きではないです(爆)香りにこだわる割には香りのセンスはないような。。なんてね(⊙ө⊙)




そんなドンちゃん、合格祝いにとサプライズでケーキを買ってきてくれました。なぜかロウソク10本立てた(汗)

料理勉強したり、陶芸したり、大学院に行ったりと、好き勝手な私を(本人にとっては全て繋がっていることだけど)いつも支えてくれて、全力で応援してくれるドンちゃん。私の夢は自分の夢だと言ってくれます。

彼も大きな組織だからできる大きな仕事を日々一生懸命こなしてます。仕事の内容を聞く度に化学工学専攻を充分に発揮できなおかつより高度な専門性と語学力も磨けているのがわかり、羨ましくもある。

私も全力でドンちゃんを応援して、今まで通り、二人で同じ方向を向いて頑張って行こうと思いました。

ケーキ美味しかった。


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2014/06/25

オイル美容




山から吹く風がとても涼しいヨスです。特に雨上がりの夜は特別。太陽が沈んで暗い分、一緒に運ばれてくる山の香りを充分に感じることができるのです。なので、雨が止んだ夜はドンちゃんとの散歩がお決まり。


写真はクロアチアの自然派化粧品ブランド「AROMATICA」のオイルたち。
クロアチアの主要都市にあるこのお店、とっても良い!クロアチアで採れたハーブを使ってのアロマオイル、バスソルト、バスオイル、ボディーソープ、石鹸、量り売りの精油などなど…女性なら誰もが好きであろうグッツが店内にぎっしり並んでいました。

私、普段は韓国のコスメショップに関心がないのですが、ここは別。目をキラキラさせながら、買い物を楽しんでいたらしいです(ドンちゃん談)

バスソルトとバスオイル、石鹸、精油、と色々と買い込んだのですが、中でもお気に入りなのが写真のアロマオイル。

特に好きなのが右のラベンダー。顔にも使えるとのことで、滞在中から化粧水に1滴混ぜて使っていたのですが…かなーり良い。肌がプルプルのふわふわのモチモチになります。もちろん、韓国に帰国しても朝晩愛用中。当分手放せません。(オイル美容を教えてくれたAちゃんに感謝!)

真ん中のリラックスオイルはオレンジとレモングラスをブレンドさせたもの。主に寝る前の脚のマッサージに使っています。(次の日の運動に備えて)

左のアンチストレスオイルはラベンダーをベースにえーと、何かがブレンドされているらしいのですが、失念。オススメされたので買ってみました。これもマッサージ用かな。

どれも100mlとたっぷり使えるサイズ。値段もそこまで高くなかったような…1000円弱だったかな?
惜しみなく使っていこうと思います。


ピラティスの先生に「肌きれいね~ピラティスのおかげね~」と言われ、なんかイラッとし腑に落ちなかったのですが、笑って頷いておきました。


と、私には似合わない美容ネタでした。


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2014/06/24

今年の秋から



ティータオルが好き。

ご飯を食べるときは食器とテーブルの間に必ず何かを敷きますが、最近はランチョンマットよりもティータオルの出番が多いです。リビングのテーブルに隣同士で並ぶときも、ダイニングテーブルでL字で並ぶるときも、どちらにもぴったりな大きさ。(向かい合うときはランチョンマットを使います)

今日はすべてのティータオルを洗って部屋干ししました。柄物は主に朝ごはん用。無地とチェック柄は夕食用。アイロンをかけることが好きなので、夜が楽しみ。


さて、タイトルの「秋から」

実は春に大学院入試を受けました。そして合格したので、秋から大学院生になります。経済学の修士号は持っているのですが、また一つ違う分野で修士を修めることを目指します。


去年からとある分野に関して勉強したい気持ちがむくむくと生まれ始めました。自分の関心分野を体系的に専門的に大学院で勉強したいけれど、通うならヨスを出て名門の国立大に行きたい。高速バスで通学しなくてはいけないし、外国語で先行研究をして授業準備をして、論文も書かなくてはいけない、できるのか。(まだ受かってもいないのにその心配、汗)そしてあと2、3年は子供を作らないことになる、ことへの周囲の反応。簡単な気持ちでできることではなかったので、随分悩みました。

でも、20代中ごろから大切にずっと持ち続けている自分の中の意欲を成熟させていきたい気持ちが強く、自分の信念を信じて頑張っていきたい気持ちもありました。あと2年で30代、最後のチャンスかもしれないとも思いました。

それでも決められなかった私を後押ししてくれたのは父親。「機会は限定される。少しでもチャンスがあれば、やってみるしかない」の言葉に深く共感し、書類を準備し院試の勉強を開始。受かるつもりで臨んで、無事に合格することができた次第です。


あ~でも、できるのか私。自分に対しての期待と心配が半々あって、嬉しいような恐いような、そんな気持ちに支配されている今現在。


好きなことを勉強できることはやっぱり嬉しい。やりたいことがあるって幸せなことだから。と、自信持って新学期を迎えることができるように、陶芸の傍ら本をたくさん読んでおこうと思います。

まずは指導教授の研究本を探さなくては…




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2014/06/23

私の韓国料理をめぐるあれこれ、2




写真が溜まっているので連続投稿。

前回、ニラを大量に購入したと書いたのですが(→)その一部をジョンにしました。ニラのジョン、ニラのチヂミです。

タネ作りは例の如く適当。プッチンカル、小麦粉、水、卵にニラと冷凍のシーフードミックスです。色んなレシピを見たのですが、プッチンカルは基本であとは小麦粉の代わりに片栗粉、パン粉、もち米を挽いた粉、などを使う人もいました。おもしろい。あと、ニラは手で縦に裂くとさらに美味しいっていうのも良く見たな。

写真は焼く係のドンちゃん。料理に関しては手伝いたがりで、褒められたがりのドンちゃんです。だから何時も全力、一生懸命。が、私は褒めるの嫌い。褒められたいドンちゃんと褒めたくない私、二人はいつまでたっても平行線(爆)なんてね!



出来上がり。ドンちゃんいわく、こうゆうニラのジョン(チヂミ)はカリッとさせるのがポイント。なので焼くときはタネは薄く、油は厚めだそうです。

我が家はポン酢で頂きました。ニラ好きにはたまらない美味しさです。


ただドンちゃんは「僕はチヂミよりお好み焼きが好き」だと言ってました。




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私の韓国料理をめぐるあれこれ


穏やかな天気のヨス。新しい一週間の始まりです。
韓国戦を見て寝不足、というわけもなく。二人でぐっすり眠って迎えた月曜日です。

今週は日本から友達が来るので、週末は二人で大掃除を決行。大型スーパーで買い出しもしたし、何を食べるかリストも作って、準備万端です。

あとは…天気が良ければいいな。




私の最近の韓国料理の先生はドンママではなく、陶芸の先生たち。男性、女性含め、皆が料理好き。(たぶん、食以外に楽しみがないのでは、爆)私が料理について質問すれば、とっても熱心に答えてくれます。

最近、先生たちに勧められたのが写真の乾燥エビ。꽃새우

これをテンジャンチゲ(味噌チゲ)を作るときに具と一緒に入れて煮るんです。そうすると、良い出汁が出て、香りもほのかにあって、とっても美味しくなります。具と一緒にエビも食べれるし。

テンジャンチゲにだけではなく、砕いてジョンにしたり、韓国の茶碗蒸しであるケランチムの中に入れたり、と色々と使えます。オススメ。

ヨスは漁港があって、水産市場も有名。市場では採れたての魚だけではなく、乾物も売られていて、しかも量り売りで買えるので便利。この乾燥エビも市場で買ってきました。


ちなみに、この日に作ったテンジャンチゲに入れた韓国味噌はインターネットで取り寄せて買ったもの。名前失念。(以前スンチョンの食堂に行ったときにテンジャンチゲが美味しくて、どこの味噌なのか聞き同じのを購入)正直、ドンちゃんのおばあちゃんの手作りの味噌よりも美味しいので気に入ってます(爆)

ただ、テンジャンチゲがテンジャンチゲであるためには、最後の過程でニンニクのみじん切りと青唐辛子を切ったものを加えるのが何よりも大事だと思う。それがあっての乾燥エビ。そう思います。



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2014/06/20

ボスニアヘルツェゴビナ ポチテリ


さて、前回のボスニアヘルツェゴビナ モスタルに続き、今回はモスタルの近郊にあるポチテリについて書いていきます。


ボスニアヘルツェゴビナ

「ポチテリ 中世の砦街」




ポチテリに着くと、まず目に付くのが高いところにあるこの砦。実はこれ、1400年代に建てられたもの。

この街はハンガリー王国時代、マーチューシュ王の時代にドブロブニク人によって作られました。もちろん、この塔の役割は対オスマントルコ。地図を確認してもわかる通り、モスタルと同様に文明がぶつかる地点です。ここが守りの要。マーチューシュの時代、この街は軍事的にもとても重要な街だったみたいです。守備の砦として大きな役割を果たんですね。



しかし、軍事的な意味で繁栄を築いたポチテリは1463年にトルコによって占領されます。ゆえに塔の下にはオリエンタルな雰囲気が広がっているのです。














このオスマントルコ占領時は、公共の建物が建てられました。モスクはもちろん、ハマムや小学校、高等学校など。この時代、この地は戦いとは無関係だったみたいです。重要性は文化的な意味合いで強まり、平和な繁栄が続いたんですね。




が、しかし、ボスニアがハプスブルク家に占領されると同時にこのポチテリの重要性は急激に落ちていきます。(建物の保全には適していた時期ではあったらしいけど)

そして記憶も新しい内戦。ムスリムが多く住むこの街はクロアチア軍の標的になり、爆撃され甚大な被害を受けることになりました。

歴史を見てみるとこの土地は、というかこの地域は、結局誰のものなのか、と考えてしまいます。ボスニア内戦では分離権を求めるのは共和国だったのに対し、結局自決した主体が民族であったのですが、その結末なのかもしれません。

単一性が求められて多様性が排除されてしまった。にも関わらず、悲しいけれど、モスタルやポチテリはオリエンタルと西方教会が混ざり合のは目に見えます。負の側面が強かった地域ゆえに。

とても静かな街だったのですが、それが逆に平和を一層に引きたてている気がしました。




ここはモスタル同様、ぶどうや果物が有名。ドンちゃんとチェリーを買って食べました。甘くて美味しかったです。

さて次はモンテネグロについて書いていきます。



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2014/06/18

もっと頑張りましょう。



雨が降りそうで降らない、なんともモヤっとした天気のヨスです。

モヤッとした天気にモヤッとした頭のまま、朝ごはんを準備し(グレープフルーツを切ってとうもろこしパンを焼いただけ、汗)出勤前のドンちゃんとしばしサッカー観戦。韓国とロシア。

が、前半早々、「韓国のレベルが低くて恥ずかしくて見てられない!my baby、僕たちはニュースを見よう!」とドンちゃんが騒ぎ(爆)結局CNNでした。

ドンちゃんの出勤に合わせて私もピラティスに行ったので後半は見ず。帰って確認したらドローで試合終了でした。



自国代表チームに冷めているドンちゃんですが、他の試合は楽しんでます。ドイツとポルトガルの試合は韓国らしくチキンを頼んで観戦しました。ネギがのっているお醤油ベースのキチンをお皿に盛って。さすがにビールはやめておきました。(ナイス判断)

ちなみに、この試合はドイツのエジルを見るため。深夜1時からだったので夜10時から12時まで二人で仮眠をしました(爆)


そんな(どんな?)ドンちゃんですが、最近はなぜか日本語の濁音が区別できるようになりました!

「か」と「が」の区別、「た」と「だ」の区別、これどんちゃんにとってはかなり難しかったのです。(韓国人にとっては日本人が発音する「か」と「が」はすべて「が」に聞こえるよう。たしかにも文字上でも区別なく使っています)

なので、文字で書くときも「ありがどう」ではなく「ありがとう」と書けるようになりました。本人も自慢げ。


よかったね~、ドンちゃん。(もっと頑張ってね、ボソッ)




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2014/06/17

ボスニアヘルツェゴビナ モスタル



さて、旅の記憶が薄れないうちに、備忘録程度に書いておこうと思う。

ただ、スケジュールに沿って書いていくと膨大になりそうなので、国別、都市別に書いていきます。

9泊10日の間どのように三カ国を周ったのかは書きませんが、もし今後バルカン半島(クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ)を旅行する計画があり参考にしたい、という方がいらっしゃれば、コメント下さい。


では最初はボスニアヘルツェゴビナから。




なぜ最初かといえば、今回の旅で私が一番行きたかった場所だったからです。複雑な旧ユーゴ諸国の中でも、このボスニアが一番複雑だったということを勉強し感じました。15世紀後半からオスマン帝国の占領下、露土戦争後のベルリン条約後はハプスブルク帝国の軍事占領下に。まさにハミルトンのフォルトラインのその上にあるんだな、という強い印象を持っていました。そして、両帝国占領下のなか複雑な様相を帯びるこの国の人たちの、自己意識がどのように形成されたのかにも興味がありました。結論的には、ボスニア王国時代から地域を基盤にしたボスニア人意識があり、1880年代以降、ボスニア内のクロアチア人はカトリック、セルビア人は正教徒といった宗教共同体への民族意識が強くなっていくみたいです。(もちろんその過程でムスリムもイスラム教を土台として民族意識を強くしていく。)

さて、前置きが長くなりましたが、そんなボスニアヘルツェゴビナで私たちが選んだ場所は、モストルとポチテリ。ムスリムの文化が色濃く残る、そんな街を選びました。

ボスニアヘルツェゴビナ 

「モスタル 東西の交差点 文明の出会う街」




モスタルはヘルツェゴビナ地方の政治、経済、文化の中心地。
旧市街地は世界遺産に登録されています。
(クロアチアやここではボスニアとヘルツェゴビナを分けています)

美しい景色が広がっているんだろうなと思っていたら…到着してすぐに目に入ってきたのは、内戦の痛々しい傷跡でした。↑





↑旧市街地に入っていきます。旧市街地はオスマン帝国占領後にできた街。1466年から68年の間にできたと言われています。

戦略的にとても重要な場所にあったモスタル。なぜならば、キャラバンがモスタルを通ってアドリア海円買いの塩、オリーブ、魚を運んできたからです。つまり交易の中心地。必然的に街は大きくなるわけです。その時代の建築物もたくさん残っています。




中央を流れるネレトゥヴァ川。そしてコスキ・メフメド=パシャのモスク。



このモスク、外回廊から下はまったく装飾のない、17世紀に建てられたものです。




モスクの前にはシャドルヴァン。





有料ですが内部にも入れます。ちなみにここではユーロを使いました。

オススメは内部に併設されている塔。大変だけど登ってみてください。
すべて登り切ったあとに広がる景色は…






モスタルのシンボル、古橋であるスターリ・モスト!ものすごく美しかった。橋と川と山と空と街並みが一つの作品となって目の前に迫りくる、この旅で見たどんなものよりも美しい景色、息を飲む素晴らしさでした。


塔から見た川を挟んで左側はムスリムが住んでいて、



こちらの右側はクロアチア人が住んでいます。その証拠に教会が見えるのがわかりますか?自分がいる場所がモスクと考えながらそのすぐそばに建つ教会をみているとなんとも不思議な気分です。


アドリア海へ向かうネレトヴァ川の水は様々な鉱物が溶けて魅力的な灰緑色です。水温はとっても冷たい。

ボスニアの人が「ここはヨーロッパでも有名な場所なんだ、なぜならば夏の最高気温が一番高いからだよ!でも水温が冷たい。なので橋から飛び降りるとその気温差で死んでしまう人もいる」と言ってました。

たしかにここは山に囲まれた盆地だから夏は暑そうだ。





ちなみにこの橋、なんと16世紀トルコ建築の大家であるシナンの弟子が設計したもの。(シナンといえばイスタンブールのスレイマニエモスク!)

たった一つの石造アーチだけで支えられているこの橋、今でも当時の人がどのように作ったのか議論が行われているそうです。




が、この橋も内戦で壊されてしまいます。ユネスコの協力で2004年に再建されますが、街にはこの「DON'T FORGET」の文字が。当時の1993年を忘れないという意味や平和が込まれているのは容易に想像できました。

その他、戦争博物館や橋の博物館にも行ったのですが長くなるので割愛。

さらっと写真で振り返ります。




人懐っこい猫ちゃん



ハンドペインティングの器も売っています。ただ、中にはメイドインチャイナを売るお店もあるので注意してと言われました。私はお皿とポーチ、そしてモスタルの画家から絵を買いました。



川沿いにはランチできるお店がたくさん。


 

欧米からの観光客もたくさんいました。



モスタルはブドウの栽培が盛んでワインも美味しくて有名。私たちもお昼はトルコ料理に地元の赤ワイン。が、食の記事は後でまとめて書くのでここではこの写真だけ。


と、モスタルが一番良かったので、長々書いてしまいました。


最後にボスニアの人たちの印象ですが、ニコニコしているわけではないんですが、とっても親切で懐深く優しい人たちでした。現地で知り合った人やローカルガイドのお姉さんたち。

日本を出て、韓国で暮らしたり旅をしたりして感じることは、日本の「おもてなし」がいかに薄っぺらいのかということです。



次はボスニアのポチテリについて書いていきます。



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