My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2017/02/17

愛される人




写真はバレンタインデイにドンちゃんからもらったお花。小さなオレンジ色のお花が可愛い。君子蘭の仲間かな?って思ったけれど、よく分からない。葉は肉厚でふっくらしている。今朝、日光浴をさせて、お水をあげた。

「花と蕾のバランスが美しいと思って、マイベイビーにこれを贈りたかった」とドンちゃん。自分が感じた美しさを私と一緒に共有したいと思うところに、私への愛情を感じずにはいられない。

もちろん普段の、例えば、最近論文のために家にいる私を気遣って、部屋は寒くないかと心配のメールをくれる姿にも、公開発表が迫り焦る私の手を握り、僕がいるから大丈夫だよ、と励ましてくれる言葉の端々にも、全てに彼の愛情を感じる。






ドンちゃんからの愛情といえば、

あなた、旦那さんから愛をたくさん受け取っているでしょう。あなたの表情を見ていればわかるのよ。

と、最近、知り合いの韓国の方と話しているときに、ふと言われた。「でも、結婚4年目の新婚ですし」と謙遜(?)したところ、「いやいや、降り注がれるように愛されている」とにっこり。少しだけ嬉しかった。

なぜ嬉しかったといえば、やはりパートナーから大事に愛されてきた人は、歳を重ねたときにそれが表情に表れると、私自身思っていたから。大学院で出会った60代の女性は、チャーミングで可愛らしく、立ち振る舞いや表情にも優しい余裕がある。聞けば、ご主人とたいそう仲が良いらしい。やっぱりな、と思った。年輪に刻まれた愛のオーラが彼女を包んでいる。

年を重ねていなくても、誰かから大切にされている人はすぐに分かる。日本で帰国するたびに会う友達もそう。皆、パートナーから深く愛されているのが表情や纏う空気から伝わってくる。忙しくても、優しい余裕や安心感に包まれている人たち。もちろん男女限らず。もちろんパートナー同士だけではなく、親から愛されている子供も家族から大切にされている人もその表情を見れば分かる。


つまり、人間とは自分の基礎となる人間関係(家族、親子、夫婦とか)が満ち足りたものであれば、大体のことは大丈夫だということなのかもしれない。あ、ちょっと論理が飛躍したかも。けれど、特にそう思う、最近。


ちなみに妻からの愛を一身に受けているドンちゃんは、会社のお偉い方々から


君からは「人生楽しい!」というオーラを感じる


と言われたらしい(爆)






人気ブログランキングへ




2017/02/14

飽きるまで食べたいもの


寒い寒い3日間が終わり、昨日と今日は少しだけ暖かくなったヨス。

週末ドンちゃんと見つけたものは、まだ芽吹く前の桜の木の、枝と枝の間にあった小さな鳥の巣。小さな鳥がこれをこしらえたんだと思うと、とても愛らしく感じる。二人で、なんかかわいいねって、しばらくその巣を見上げていました。

今朝、歳時記で「鳥の巣」を調べてみたら、「三春」の文字が。どうやら春の季語らしい。ということは、ドンちゃんと私は小さな春を見つけたということになる。期せずして宝物を見つけたみたいで、少しだけ愉しげな気持ちになった朝でした。






写真は季節限らず食べることができる長芋。3キロをお取り寄せしたのです。

韓国のスーパーでも、もちろん長芋は手に入り、一本は800円ぐらいで売られています。高くもなく安くもないので、時々食べるならばそれを買えばいいんだけど。。。日本でとろろご飯の美味しさを知ってしまったドンちゃんが、毎日食べたいと言うので、取り寄せることにしたのです。ちなみに3キロで1500円ぐらい。スーパーで売られているのより新鮮だし、お買い得。安東の農家から、たっぷりの籾殻と一緒に届きました。

長芋の存在を知っていても、とろろご飯をこの歳になって初めて食べたドンちゃん。どうやら、韓国では長芋ってあまり身近な存在ではないらしい。レシピを調べてみても、多いのはミキサーで撹拌して蜂蜜を加えてジュースにする方法。身体にいい食材ということは知られているみたいです。







我が家では、とろろご飯、もしくは仙台のSちゃんに教えてもらった、薄めた麺つゆに漬け込んで食べるのが定番になりつつあります。どちらもドンちゃんの大好物。毎日どちらか、もしくはどちらもが食卓に並びます。日本のよりは少し細めなんだけど、シャキシャキして粘り気もあって美味しい。

一箱が尽きる頃にはドンちゃんの長芋熱も冷めているのかしら?とりあえず飽きるまでは食べさせてあげたいな。


おまけのクイズ




↑ドンちゃんが良い朝だという理由である「ヴぁーぇんたいぬでい」とは何でしょう?


答えはバレンタインデー。「ヴぁーぇ」とか普通に打つよりも難しいのに、どうやって打ったんだろう。。。なぞ。






にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ






2017/02/11

苺の買い方


寒い日が続くよ、と言われた三日間の最終日。朝一番で開けた窓から、流れてくる風は厳しい冷たさがあります。

今日が終われば、暖かくなる兆しを感じることができるのかしら。社宅にある桜の木の枝の先には、小さな蕾が現れ始めています。





写真は今が旬の苺。韓国のカフェチェーンではどこでも苺を使ったドリンクフェアが開催中だけど、その甘くて酸っぱい幸せなみずみずしさを味わい尽くすならば、そのまま丸ごと食べるのが一番だと思う。

苺を買うときはいつも、市場か八百屋さんで。ここでは日本のようにパックではなく、プラスチックの桶(?)に入れられ、キロ単位で売られています。

買うときのポイントは、お店の人に値段の差の訳をまず聞くこと。1000円のものと1800円のものとの差は何か。だいたい見れば、粒の大きさだということは分かるけれど。それと、いつ入荷したものなのか、と聞くのも大事。それを聞いた上で、「今日の朝に入荷した、一番高いもの」を買います。


迷わず1000円ぐらいの安いものを買っていた時期もあるけれど、高いものを買ってみたとき、苺の値段の差って味に現れることを知りました(苺に限らず特に果物ってそうだよね)安いのはミキサーにかけてジュースにしたり、ジャムにするのにはいいかもしれないけれど、一粒一粒味わいたいときは少し高いものがいい。(高いといっても、量を考えれば安いけれど)





昨日の夜に二人で食べたけれど、まだ一番大きなボールにたっぷりあります。週末が終わる頃には全部食べきってしまうんだろうけど。






ちなみに、韓国の苺は「プラスチックの桶」に売られていると前述したのが、写真のこれ↑です。風呂桶みたいだから桶と形容したけれど、これは何?植木の受け皿?

これ、いつもお店の人に入らないっていうんだけど、苺が崩れるから持ってけ!と言われるので断れず。そして家に溜まっていく。活用したいけれど、まだ良いアイデアが浮かばず。。。でも捨てるのは勿体無い気もするし。

アイデアを考えつつ、苺の季節をもう少しだけ楽しもうと思います。






人気ブログランキングへ






2017/02/10

挽歌



挽歌とは死者を悼む詩や歌のことをいう。

挽歌の「挽く」とは棺の車をひくという意味を持つようで、なるほど、野辺送りの時に歌う歌であることがよくわかる。棺をひきながら、亡き人を偲んで歌う歌。

挽歌の「挽く」には、一方で、遠くに行ってしまう死者を「引っ張りたい」気持ちも表しているのではないかと思ってしまう。まだこっちにいて下さいと思う、残された人の胸の内を。



日本の大学院で私を指導してくれた恩師が亡くなった。


先生には、とてもとてもお世話になった。大好きで、特別な先生だった。


今は、先生との思い出と、大きく激しい後悔だけが残る。


ノートに先生の命日と先生の名前を書いて、その下に挽歌(と言えるかわからないけれど)を書いた。結局、先生を失った自分の悲しみしか歌にできなかった。私の涙は、先生を失った自分に対する涙なんだ。私はなんてエゴイストなんだろう。




清流に抗う一つの岩のように
貴方の存在は流れて行かず
私の心に置かれたまま

川面に落ちた一枚の葉のように
貴方はするりするりと流れていき
私の手はむなしく水を切る






と、数日前にここまで書いて、投稿しないでいた。今日は空はものすごく澄んで、頬を切る冷たい風が吹いている。信じられない。あんなにお世話になったのに。先生に何もできなかった。今はもう、灰になってしまった先生。








2017/02/09

門は通れない




彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門のしたからに立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。―夏目漱石「門」より




初めて「門」を読んだのは、中学生の時。このフレーズにとても衝撃を受けた。けれども、その理由をうまく言語化することはできなかった。

今なら、分かる。ここでは人間の本質、悲しい宿命を鋭く射抜いているいうことが。




人は皆、主導的に生まれた訳ではない。 I was born、生は受動的に与えられたものである。そんなことを高校時代の友人とワインを飲みながら語った夜。1年前の冬。その夜の帰り道、一人考えながら、受動的に生まれてきたからこそ、自分の存在根拠なんてなく、自分が自分であることに意味なんてなく、自分らしくの「らしく」なんてどこにもないんだということに、気づいてしまった。

「門」の主人公宗介は私だなと、思う。この部分は、それでも自分の存在根拠はどこにあるのか探す私が、いくら探してもその答えを探せないことをうまく表している。つまり、門を通ること(答えを見つけること)は決してできない。しかし、門(問い)は目の前に依然と、大きく、ある。




同時に、「門」に登場する禅宗というものに惹かれていった。この小説では禅宗の中でも臨済宗を指すが、仏教を勉強していくうちに曹洞宗に惹かれた。そこで見つけたのが南直哉という曹洞宗の禅僧の方が書いた、本。南さんはいう。ブッタの教えを間にうける必要はない。ただ、人生を生きる作法として使えることは確かだと。

だから、曹洞宗の大本山、永平寺に行ってきた。道元禅師が開いたとされる古くからの叡智が結集されたその場所で、その空気を吸いたかった。

雰囲気や建築物としても良かった。でも一番はそこで修行される雲水の方が纏う空気に触れることができたこと。




つくづく思う。この世の中は、人間が生きやすいようにそれぞれ勝手に意味づけをしているだけの通俗的価値観で固まっていると。この俗世界と離れた深山幽谷の地で、厳しい修行に耐えること。彼らの佇まいから、迫ってくる何かを感じた。

彼らも問いがあったのだろうか。人間は決して門を通ることはできないと諦観し、問いそのものを問い、門そのものを見るているのだろうか。





仏門に入る勇気はまだないし、彼らみたいに徹底的な精神活動をすることもできないが、それでも、この問いが出ない(門は通れない)という苦しみから、一時も目を離さないようにしよう。

この空っぽの世の中で、生きいていくことに、飽きないために。



そんなことを考えさせられた、永平寺。ドンちゃんと行くことができて本当に良かった。ちなみに、永平寺は朝一番に行くことを強くおすすめします。





にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ



2017/02/07

失敗ごはん






昨日も今日も晴れ。

晴れると嬉しいその訳は、干し野菜用のネットを買ったから。いつも適当にザルの上に並べてて、風が吹くと全部落ちたりしてたから、今回買ってみた。青い網はマンションみたいで、最上階に椎茸、二階に蓮根の皮、一階に大根の皮がいる。陽にたっぷり当たってもらって、早く料理で使いたいな。


さて、今更だけど、新しいトゥッペギを買った。

鉄釜を買ってからは出番も少なくなったけれど、一応トゥッペギはチゲ用に一つはあって、お鍋用の棚にちゃんとその位置を確保してあげている。




今回買ったのは、そのトゥッペギよりはかなり小さいもの(ダイソーで200円ぐらい)

なぜ買ったかといえば、韓国版茶碗蒸しである「ケランチム」をふわふわもふもふで作りたかったから。既存のトゥッペギは少し大きすぎて、卵を相当使わなくてはふわふわもふもふケランチムを作れなかったんです。

で、さっそく作ってみた。だいたいどのレシピも卵3個に対し、水200ml、塩少々というというかんじ。tただ、ドンママは水ではなく、かなり濃くとった昆布出汁を使います。(ちなみに、ドンママの昆布出汁は煮ないで水で取る方法で、濃くとって冷凍して、使う時は水で好みに薄めて使います)

私も昆布でとった出汁で。塩は減塩中なので、使わず。




グツグツ火にかけて、スプーンで底を掬いながら、頃合いを見計らって弱火にして蓋をします。が、しかし。ここでびっくり。なかなか火が通らない。いつまでも膨らむどころか固まりもせず!

さっと作れるから、最後の最後に、お味噌汁とか煮物とか温めた後に、作ったわけなんだけど、出来上がらないので、もう火を止めて放置。




先にいただきますをしました。メニュウは縦切り蓮根のお酢きんぴら、大根と挽肉の煮物、ブロッコリーとパプリカの和風ゴマサラダ、長芋の漬物、干しサワラと大根おろし、写真にはないけれど干し椎茸とじゃがいものお味噌汁に玄米ごはんをでした。




食べながら、一応ケランチムを見に行ったら、余熱でなんとか固まっていた。ので、食卓へ。ふわふわもふもふにならずに残念。

失敗の要因はおそらく作り方。出汁と卵液を混ぜあわせるのではなく、最初に出汁を入れて沸騰させてから、卵液を注ぐという攻めた作り方をしたから、だと思う(爆)

定番のおかずってどうしても違った方法で作りたくなる。学校からの帰り道、いつも違った道で帰りたかったあの頃のように。。。

あと出汁200は多すぎかもしれない。今夜は一般的な作り方で、プラス出汁少なめでチャレンジしてみようと思います。


失敗は成功のもと!





にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ



2017/02/04

いつか時の裁判を経て


日本の実家に滞在していた時、朝起きるたびに外が明るくてびっくりしてました。

私が寝起きしていた部屋は東側に壁一面の窓があったので(ゆえにかなり冷える)、6時ごろにはオレンジ色の光でいっぱいに。

それに慣れてこっちに帰ると、朝がとても暗く感じます。日の出時間は7時過ぎ、日本とは約1時間ぐらい差があるんですね。その分、日は長く感じるけれど。

日本と韓国は時差がない分、日が昇ったり、沈んだりする時間の差が明確にわかりやすい。地球は自転しているんだなぁという感覚を持てます。


さて、日本の話題が続きます。




日本で是非見ようと思っていた映画がありました。それが写真の「人生フルーツ」というドキュメンタリー映画。この映画、とても良かった。

ストーリーは建築家である津端修一さんとその妻である英子さんとの日々を追ったもの。

老夫婦の物語なのですが、高度経済成長期の都市計画事情、戦時中の海軍エリートと台湾から連れてこられたオペレーターの友情物語、一人の建築家の希望と挫折、自家農園、スローライフ、丁寧な暮らし、、、と色々な要素が詰まった映画でした。しかしながら全体としてまとまっていたのは、それらが全て一組の夫婦の人生だったからなのでは、と思う。

何といってもこの映画の一番の見どころは、津端夫婦の穏やかで満ち足りている日々の営みの奥にある、お互いを愛をもって見守り、尊ぶという態度や心持ちが画面を通して溢れてくるところ。

それらを感じながら、分かったこと。それはスローライフを送ろうが、都市ライフを送ろうが、それを満ち足りたものにするにはパートナーとの関係性が何より大事なのだということ。お互いを大切に、尊敬できる相手とならば、どんな生活をしたとしても、悔いのない人生を生きることができるんだなって思いました。

あと、個人的にこの映画の隠れたポイントは「孫娘」だと考えます。お二人には孫娘が一人いて、映画では声のみの出演だけど、この夫婦がどれだけこの孫娘を大切にしているかが分かるのです。

この孫娘が象徴することが「受け継いでいくこと」

人は永遠には生きられない。だからこそ、人とは世代から世代へバトンタッチしていく。津端さんの思いは孫娘からさらなる新しい世代へ受け継がれ、いつか時の裁判を経て、その時の人類を支える一つの哲学になるのだと思う。土が芽となり花となり、やがて実になるように。


人の一生は一瞬、だからこそ続いていく中にだけ、生きた証があるのだと思う。


そんなことを考えさせられた映画でした。オススメです。



にほんブログ村 海外生活ブログ 韓国情報へにほんブログ村

人気ブログランキングへ