そんな息子の様子を見て、ふと、「人は幸運に恵まれていれば、言葉を覚える前に、言葉にならない音としぐさのやり取りを楽しむ楽園の時代を持つ」という一文を思い出した。鶴見俊輔『思い出袋』にて金鶴泳について書かれたところにある一文である。
金鶴泳はこの幸運に恵まれなかった、父親の暴力によって。鶴見はこのことと、在日朝鮮人作家たちが母国語ではない言葉で多くの優れた日本語文学作品を生み出したという事実を重ねている。章題は「使わなかった言葉」、さすが鶴見俊輔だなと唸る鋭さと眼差しの温かさである。
息子のこの楽園の時代ができるだけ長く続いて欲しい。ひらがなもハングルももちろんアルファベットもなるべく遅く習得すれば良いと思う。言葉を覚えたら、世界の見え方はまるっきり変わってしまうから。喃語でおしゃべりするこの特別な時期を、のんびり過ごして充分に楽しんでほしい。
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