My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2017/03/15

越冬を終えた渡り鳥たち



天気が良かったので、洗濯物を干さずに朝から散歩へ。緩やかな丘の上にある展望台で陽光を反射する海面を眺めていたら、そこに浮かぶ鳥の数が、先月よりも少ないことにふと気付きました。

もし、冬の間に私がみたたちが渡り鳥と呼ばれる者たちだったならば、暖かくなり始めたため、故郷へ帰ってしまったのかもしれない。そんな考えが頭に浮かびました。現にヨス近くの順天にはシベリアから越冬するため多くの鳥が集まっているのを見たし。だとしたら、なんか羨ましい。

生きる」という生命力を基軸にし、自分のバイオリズムと移り変わる季節を読み取りながら、羽ばたいていく渡り鳥たち。なんと素敵な生き方だろう。

ただ、生物学は専門外だし、ましてや鳥類なんて「卵から生まれ、嘴があり、飛ぶ(しかしペンギンを除く)」ぐらいの定義しかできない私なので、あくまでもこれは想像上のことだけど




かくゆう私も無事に越冬。

ソファーの肘掛にはいつも読みかけの本を置いています。冬はそこに本が積み上げる季節です。特に今年の冬は論文もあり積極的に外に出かけなかったので、ずっと本を読んでいた気がします

この冬の一番は中欧文学の巨匠フラバルの「わたしは英国王に給仕した」でした。まるで20世紀を擬人化したようなチェコ人が主人公の作品でした。写真は今読んでいる本。ロシアの偉大な文豪ナボコフが書いた「賜物」、20世紀を代表する文学作品の一つです。分厚くて、他のロシア文学同様読み始めが辛かったのだけど、なんとかそれを超え、take offに成功。今は文体と形式が飛び抜けているところに面白さを感じています。

そんな私を側で見ているドンちゃん。彼はもっぱら哲学の本ばかりを読んでいたけれど(一時期は哲学のブログを書いていた、爆、私の影響を受け?、最近は文学一辺倒。私に「良い文学を紹介して」と頼みます。

もちろん、本はたくさん読めば良い、とは思っていません。読書の本質は、読んでそれを自分の中に移入して、解釈することだと思うからです。それは大変難しい思考的行為だし、訓練が必要なことだけど。読む本が少なくとも、内容を自分の中に入れて、作者が何が言いたいのか、そこにある一般性を導き出すという行為をするならば、それは自分の糧になり、豊かに生きる上で大事な経験になると思うのです。それこそが読書。もちろん映画もそう。

読書において、極論を言えば何を読むかは大事ではないけれど、それでも質の良いものを選びたい。だって人生はとっても短いから。人間の時間は無限ではない。特にのんびりと勉強だけすればいい身分の私と違い、会社勤めのドンちゃんは読書に使う時間が限られてくる。ならば、良いものを読んでほしいと、紹介する本選びにも熱が入るわけです





今までドンちゃんに紹介した本は、ブッカー賞作家であるサルマンラシュディ、安部公房、夏目漱石、マジックレアリズムの巨匠ガルシアマルケス、フランス人作家ルクレジオなどなど。今回はカズオイシグロの「日の名残り」を紹介しました。栄華を極めた英国帝国の静かでゆっくりとした凋落を感じることができる作品。写真のがそれです。韓国のネット本屋さんで頼みました。

と、ちゃっかり一緒に私の本も。安部公房の「箱男」と戯曲集を。私のファースト安部公房は戯曲集「友達」でした。当時カフカを崇拝してた私は「日本人でもカフカがいる」と相当衝撃を受けたのを覚えています。読み返したいと思っていたところだったです。ふふふ。

本棚にある250冊の本は、ほとんどが日本から持って帰ってきたもの。付け加えるならば、ドンちゃんのトランクと手荷物でやってきたもの。(つまりドンちゃんが本のアッシー。だって本って重いじゃん。)今回、韓国の本屋さんは日本の本も割と充実していることを知ったので、有名な文豪の作品はなるべく韓国で買おうと誓いました。。。

越冬が終わっても、渡り鳥のように旅立つことなく、ヨスに引き続きいる私たち。せめて読書中だけでも、羽ばたき、ここではないどこかの空気が吸えればいいなと思います。





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