前回の続きになります。
安東の河回村で一泊した北村宅(和敬堂)とは、約210年以上前に建てられた両班の古宅(韓国では古く伝統ある家を古宅という)で、210年前そのままの姿をしています。河回村の中でも、当時の姿そのままに残しているのはここだけで、全国でも4軒しかないんだそう。どこも、床暖房を入れたり、一部をリノベーションするそうです。
韓屋には名前があり(屋堂という)和敬堂とは代々のお父さんたちが住んでいた建物の名前です。お祖父さんが住んでいた別棟である北村幽居。写真だと右の建物です。北村宅とは「村の北にある宅」という意味で、ここの総称です。
この北村宅に代々住んできたのがこの土地の両班である柳氏家。朝鮮王朝時代に有名な性理学者や歌人を輩出した、由緒正しい名家です。オーナーはその末裔である70代の方で、教養と気品に溢れ、物腰も柔らかく、会った瞬間から私とドンちゃんは惹きつけられました。二人で「かなり素敵な人だねえ」と。一晩、いや一代では決して身につけることのできない品の良さをヒシヒシと感じました。私たちが泊まった日は他の宿泊客がいなかったため、ゆっくりとオーナーとお話をすることができました。これはとてもラッキーだったな、と今思います。到着日はKBSの取材班がいて、一生懸命撮影をしていました。
オーナーはもちろん、北村宅の建物や雰囲気もものすごく素敵。当時からの歴史と暮らしが息づいており、気品が隅々まで宿っていました。韓国の美しさが凝縮された空間。
Shiinaさん(@shiinayyy)が投稿した動画 -
↑これが建物の中に入って行ったときの映像です。中央に庭を置いた「口」字型で、台所、板の間、女性たちのお部屋があります。
↑私たちが泊まったのは入って左側のお部屋。代々のお祖母さんたちが使っていたそう。この部屋の廊下だけ手すりがあるのはそのため。モシ(麻)の色合いが素敵。
↑丸く整った柱
↑河回村は仮面が有名
↑ここは韓屋としては珍しい2階建だそう
↑板の間に飾られていた陶磁器は白磁。おそらくオーナーの奥様(美しい方だった)のチョイスなのかな。
↑韓服の時に履くコッシンと同じ形をしたゴムスリッパ。
↑籠がかわいい
↑こちらは台所
↑台所は今は使われていません。建物を保存するため、オンドルを別にし、ここでは一切火を使わないそう。
↑これでまめを挽いて、お豆腐を作っていたのかな。。。と想像。
韓屋でのんびり過ごしたかったので、
夕方早めに帰りました。日が暮れた後の韓屋も素敵。
部屋に入るとじんわりと床が暖かい。オーナーが蒔きをくべて温めてくれていました。これぞ、本当のオンドル。
↑その場面も一緒に見学。仕組みやオンドルが持つ機能を色々と聞きました。ちなみに蒔きは참나무(辞書ではブナ科の総称を言うらしい)でなくてはいけないそう。他の木と比べてススがでないため。もちろん、その分値段も高くなってしまうみたい。
床下暖房があるので、韓屋全体は少しだけ高い位置にあります。↑なので縁側も高め。夜は部屋から縁側に出て、ドンちゃんと話しながらお庭を眺める時間がとっても良かったです。私も、この縁側が欲しい。朝起きた時も、ここに座って、鶏の声を聞いていました。
窓を開けた時に、そこが自分の好きな景色である家に住みたいと、最近切実に思う。。。
ちなみにオンドル、朝もオーナーが火を燃やして温めてくれていました。ここは入り口あって、全体を温めることができる焚き口。
Shiinaさん(@shiinayyy)が投稿した動画 -
↑朝の映像です。6時半ぐらいに撮ったもの。煙突からモクモクと煙が出ています。静かな静かな朝。
朝のお散歩を終えた後は、お待ちかねの朝ごはんの時間。ここのオーナーが所有する藁ぶき屋根のお家に行き頂きました。
オーナー曰く「田舎のごはんです」、とのことですが、ものすごく美味しかったです。安東の味付けは塩辛いことで有名なのですが、ここは薄め。食べたかった安東名物塩サバも頂けました!何より、真鍮の器にうっとり。我が家も一式揃えようかな。。。
朝ごはんを食べた後はオーナーと一緒に北村宅ツアー。代々受け継がれてきた家具や日用品から実際の建築方法に関する話まで、実際に目にしながらオーナーが説明してくれました。
↑
別棟である北村幽居も開けてくれて、見学しました。昔使われていたという韓薬を入れていた箪笥があって、その引出しの香りを嗅がせてもらいました。今でも韓薬の香りがして、感動。
↑柱が白くなっているのは、塩化したため。なぜ塩化したのかと言うと、建物を建てた時に、石と柱の間に塩と唐辛子の粉と他に何か(失念)を混ぜて、塗ったから。害虫や湿気から柱を守るため。
昔の人の知恵ですね。
加えて、柱の内側が低くなっているのは、力学的に重い屋根を支えるためだそう。
オーナーとのお話の中で、一番印象的だったのが、この北村宅が代々行ってきたこと。安い小作料で小作人の負担を減らし、洪水災害の際には私財で周囲の人を助けてきたそう。
これはここの建物の造りにも反映されていて、
↑例えば、写真中央に台所があるのですが、扉はないのです。冬はとても寒かったそう。なぜ扉をつけないかと言うと、お腹を空かせてきた村の人たちが、いつでもここに来てご飯を食べることができるように、と「開かれている」台所を意識して作られたそう。
写真はないけれど、トイレも同様。村の人がいつでも使えるようにと、外側からでも入れるような作りになっていました。
まさに、noblesse obligeの態度だな、とオーナーの話を聞きながら思いました。社会的地位の保持には責任が伴うのです。上に立つには、下の者の面倒をよく見て、下の者の責任をとる。
私は、この態度の根本に、儒教の教えをヒシヒシと感じました。儒教とは、徳を備えて、社会はいかにあるべきか、社会をどう作るべきか、という社会倫理を考える思想。まさに、ここの家が両班としてしてきたことだなぁと。ここ北村宅で、この真髄を見た気がします。
そして、ここで感じた美しさは、まさにこの高度な儒教倫理の実践から滲みでるものなんだなと、よくわかりました。ほんとうに、良くわかった、これは学んで実践する人ではないと作ることができない雰囲気なんだと。
代々のオーナーは「いかにまじめに生きるべき」か、をまじめに実践してきた人たちでした。そのままの自然を愛し、自分に責任をもって他人を愛した人たち。
最後は、オーナーと一緒に写真撮影をして、お別れ。また来ることを約束しました。本当に貴重な時間を過ごすことが出来て、胸がいっぱい。素敵な誕生日記念になりました。
最後に、実は去年あたりに、ボヤ騒ぎがあった北村宅。一般観光客がタバコをポイ捨てしたそう。それ以来、一般観光客は立ち入り禁止に。「我々韓国人の意識はまだまだその程度なんです」と語るオーナーの言葉の端から、失意の念を感じました。
今はもちろん、予約をすれば泊まることができます。ドンちゃんは電話で予約し、宿泊費は銀行に振り込んだそう。私たちの部屋は一泊1人当たり1万円でした。
今度は春に行きたいな。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ