My everyday life from Yeosu/여수/麗水, Korea.


2014/11/27

発表の前日






ヨスは晴れ。太陽の光を浴びて飲む、熱いコーヒーのおいしさったら。順天市にあるお気に入りの製菓屋さんで買った食パンもおいしくって、寒くなるのさえ穏やかな気持ちで迎えられそうになった。(実際、真冬が来るのは怖いし全然穏やかじゃないけど)

コーヒーといえば、コーヒードリッパーにチャレンジしようと、アトリエに行くときは毎回、愛用中のドリッパーを持ち込んでいます。真っ白なカリタのドリッパーも良いけど、調和が不調和を越えていく陶磁器のそれでもいいな、と思って。コーヒードリッパーがうまくいったら、コーヒーサーバーを作りたい。夢は膨らむ。ふふ。




父から頼んでおいた、中上健次の補陀落と伊藤純朗の柳田國男と信州地方史の第五章がPDFで届いたので、印刷して読んでいます。

日本の文学作家の作品は久しぶり。全然読んでなかった。安部公房にハマったぶり。世界の辺境の作家たちに比べれば、日本人の作家たちってアマチュアだよなと思っていたので避けきた。安部公房と大江健三郎ぐらいじゃんって思ってたぐらいだったんです。でも、江藤淳が中上健次を「日本の自然主義文学百年の子供」と言っていたというのを読み、彼の作品も読まないと!と思い、彼の全集から短編であるこの作品をまず読むことにした次第。

ちなみにこの補陀落は近代に入ってきた西洋の「自己犠牲」の考え方ではなく、日本特有の個人的な希求としての「自殺」がポイントとなっている、と他の本で紹介されていてそれに興味を受けたのも理由の一つ。


伊藤純朗の柳田國男と信州地方史は今、ものすごく必要なので頼みました。例の民俗学のゼミでの発表で参照にしようと思って。というのも、民俗学者の竹内利美を今リサーチしているのですが、彼が「蕗原」という同人雑誌で活躍したというのを別の論文で読んで…。蕗原を調べてみたら、この本に辿りついたのです。

この本は信州の地方研究の歴史を柳田國男と信州の教員との交流から描いたもの。同時に柳田批判も少しずつしているからなかなかおもしろい。

そもそも信州ってかなり郷土研究が盛んな地域だったんです。しかもその担い手が小学校の教諭たち。「蕗原」とは上伊那郡の伊那富小学校の教師たちの郷土研究グループであり、彼らが発行した雑誌だったのです。ここでやっと竹内利美が長野生まれで、長野の小学校教員を経て研究員になっている理由がわかりました。

そこで疑問になるのが、「なぜ小学生の教諭たち」が「なぜ郷土研究」ということ。それはやっぱり時代が関係していました。昭和の金融恐慌からの深刻な農村不況。それを受けて当時の文部省は郷土教育奨励施策を進めます。それは農林省が中心の農村自力更生運動と連携したもの。つまり、農村不景気のために郷土の教育が必要とされていた時代だったんですね。
プラス、官だけではなく民間でも全国的な郷土教育連盟が設立され、雑誌「郷土」を発刊し郷土教育の研究・普及に努めました。

そうゆう時代背景にもともと郷土研究が盛んな長野がうまく応じ、自発的な郷土研究の流れも認められるようになったということ、らしい。

蕗原の教師たちは子供たちに教える農村教育にとっては農村生活に対する深い理解が何より必要であるという強い信念があり、そのような郷土教育の実践のためにまず自分たちが郷土研究を習得することに専念した、とのこと。彼らは「自らの教育者としての立場」を守り、「教育者の自らの糧」とすべく郷土研究に従事し、「学校で生徒を通じて村の問題を知り、その変遷を知り、それをまた生徒に戻す」郷土教育を精力的に行った、そしてそのうちの一人が竹内利美。

と、一回読んでざっと抜粋しただけなんですが、蕗原の実態と、郷土研究と教育(しかも小学生の)の繋がりがわかり、すごおおく面白かった。竹内利美をまた違った角度でとらえることができる資料なので、しっかりと読み混んで、自分の知識にして、韓国語に訳して、来週の発表に活用しようと思います。


そして長野といえば、先日の長野北部地震。被害が大きかったとの報道を韓国で見て胸が痛かったです。大好きな友達の生まれ故郷。被害に遭われた人たちが一刻も早く普段どおりの生活ができますように。


本の情報

伊藤純朗「柳田国男と信州地方史-「白足袋史学」と「わらじ文学」-」(2004)、刀水書房
中上健次「中上健次全集Ⅰ」(1995)、集英社



ちなみに明日も発表
今から緊張
夕飯は簡単にビーフシチューかな



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