ヨスに来てから、音楽はJames Morrison、Travis、そしてMJばかり聞いてました。
ちなみにマイケルは自分の中で中学生以来のヒット。あの頃は「They Don't Care About Us」ばかりきいていたけれど、歳を重ねた今は「Human Nature」の良さがわかるようになりました。(This is itの一番好きなシーンでもある)
最近はTamia、特にアトリエからの帰り道に聞くのがお気に入り。
昨夜のヨスは、昼間に雨が降ったからなのか、空気がふわりとしてて。
「Officially Missing You」から聞こえる彼女の言葉が溶けだして、この空気と一緒になって綺麗な透明なまん丸な粒になって。そして、夜空に上がっていくのが、目に見えました。
私はそのつややかな粒の間を、「can't nobady do it like you」と口ずさみながら、同時に大好きなドンちゃんを想いながら、自分がこの世界で一番の幸せ者だと感じながら、家に向かいました。
平和でものすごく単純な、私の日常です。
前回でも触れたとおり、バレンタインにドンちゃんから花束を貰ったのですが、
とってもたっぷりとしていたので、ばらして、小さな花瓶(といっても、ジャムやジュースの空き瓶)にそれぞれ活けてみました。
陶芸家の先生たちが、好きなように活けているのをみて、勇気をもらったというか(笑)
難しそうだな、私にできるかなって腰が引けていたんだけど、「花はそれだけでも美しいから、心のままに活ければいいんだよ」の言葉に動かされたこともあって。
リビングに2つ、私の机に1つ、キッチンのダイニングテーブルに1つ、こしらえました。あ~かわいい!お花っていいですね、美しいし生命力を感じることができる。週末に友達が来るので「どうか元気でいてね」と念じつつ、うっとりと眺めています。
これからはドンちゃんに花束を貰うたびに、こうやって少しずつ活けて(っていうかばらして)いこうと思いました。
さて、最後に陶芸の話をちょこっと。いわば、自分の備忘録ですが。
練習でも作品作りでも轆轤を回しているとき、頭の中はただ一つ。「自分の哲学をどうやって土に落としていくのか」でした。
なので、常に私がしたいことは、人生、世界、愛、といったものに対する確固たる自分の哲学から派生される自分の考えを作品で表現していくことでした。
というのも、大好きな海外の文学作品を読み解いていくという作業を通して、芸術というのはそうゆうものなのだと認識するようになったからです。哲学もしくは宇宙の根底でも愛のはかなさでもいい、そういったものを直感的に把握し、その認識を可視的な形象によってシンボリックに表現することこそ、芸術の第一義的な目的なんだぞって考えるから。
けれども、私はまだそういったものを象徴的に表現する技術がないんですね。
あと1年すれば少しは…とも思うけれど、今は素人に毛が生えたような初心者なので。
なので、轆轤を回しているときに考えることを少し変えてみました。いや、むしろ、考えていることというソフトな部分ではなく、ハードな部分、頭の使い方を変えました。
自分自身と対話するようにしたんです。
対話と言っても、井戸端会議的な世間話とかではなく。人間学的な自己分析。轆轤を回して土に触れて手の動きと力加減に集中しながら、真っ白な原野に自分を放り投げて、自分がどう行動するのか、自分がどう考えるのかを観察することで、自分の感性が見えてくることがわかったのです。
精神的には辛く修業みたいな心境になるのですが、成形された土をみるとそこに私の性格が見えるんですね。自分ってこうゆう人間なんだなという確認と発見。とてもおもしろいです。
轆轤を回すときは技術がついてくるまで、哲学を落とし込めるという考えを一旦置いておいて、自分とコミュニケーションを取り自己分析をしていこうと思います。
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