息子が喜びを持って1日を終わることができた日、私にとってもそれは意味のある1日である。実家では色々な雑務から解放されるので(ヨスの自宅でも大して家事してないけど)夜は、さらに息子と過ごしたその日1日を思い返し、その意味を問い直し、深めることができた。
今回の滞在でとても印象に残った遊びがある。それは息子と一緒に外を眺めるというもの。夜の真っ暗になった外を眺めるのがお気に入りなんだけど、そこでは必ずカーテンに一緒に包まりながら眺めるのが彼にとって重要なポイントだった。
ただ眺めるのではなく、どうして「カーテンをひいてその中で外を眺めるの」ことが好きなんだろうって考えていてハッとした。これは彼にとっての向こうの世界なんだ。カーテンをひくことで、他の空間と遮断しているわけで、つまり現実の世界と遮断して、カーテンの中は彼にとっての別の世界になっているのではないのかなって。これは息子にとって向こうの世界への原体験なんではないかと。
子どもって、現実と想像の世界を簡単に行ったり来たりできるじゃない。私自身もそうだったなと思い出した。自分が生活する周囲にはいつもどこかにどこにでも向こうの世界への入り口があった気がする。テーブルや机の下だったり、お風呂の湯船の中、毛布で作ったテントの中だったり。自分だって、カーテンの中で真っ暗な外の世界を眺めることが好きだったし、そのとき感じたのは現実の世界とは違う、自分だけが知っている別世界だったよな。
息子はまだ自己認識できていないとは思いけれど、きっとそうなんだと思う。私の手をひいて窓際に一緒に行き、カーテンをひけと私に指示に、2人で窓を眺める。この空間は息子にとって現実とは違う向こうの世界だったんだ。そこに私を入れてくれたことが嬉しかった。それはきっと私が息子にとってまだ内側にいる存在だからだと思うけれど。
育児の幸せは多々あるけれど、子供のころに不思議に思ったことや、怖かったこと、誰にも言っていない、それでいてずっと記憶にあった、そうゆうものを自分の中に発掘したり、我が子の中に発見したり、そういった人生の宝物ではないけれど大切な何かに再び会える、ということも子どもを育てながら得られる幸せの一つだなと思った。
自分にとって意味のある日本滞在だったな。こんな風にヨスでも育児して行こう。よきよき。